流れを読む(スタッフ)
椎名先生のところでスタッフとして働き始めて
たくさんのご夫婦の方々をみてきました。
いろいろな夫婦の形の1つとして
我が家の夫婦のことを書いてみようと思います。
結婚生活20年目に突入し
自分はなぜこの人と結婚する事を選んだのかと?
とママ友同士で話題になることが増えた今日この頃。
思い返してみました。
もともと結婚というものに
どちらかというと良いイメージがなかった私。
主人と出会った頃は
愛もトキメキも溢れんばかりで
毎日が満ち足りていていましたし、
お互いこの温かな感情のまま
家族や家庭というものを築いていけるのでは?
とやっと明るいイメージが持てたからでした。
そんな新婚生活も
お互い生活に慣れてくると、
気遣いや心配りなどよりも
こうしてほしいと相手に要求することが増えて
思うようにしてくれないと腹をたてたり
ケンカをしてイラだった気持ちをぶつけ合ったり。
ただ、ケンカをしてもお互い前向きにわかり合うことが
この頃はできていたはずなのですが…。
子どもができ、子どもに手がかかる頃には
夫婦間のことよりも子どもに優先順位が切り替わり
お互いの気持ちにズレが生じてしまい、
子育てに対してもこちらの思うように動いてくれない相手を
責めたり、もういい!と突き放してみたり。
そんなことを繰り返すうちに
相手に対して満ちていた愛はどんどん薄れていって
生活の中にひっそりと陰をひそめてしまうまでに…
思い通りにならない相手との日常に疲れて
お互い余裕がなくなり、会話も少なくなり、
業務的に子どもに関する話しかしなくなっていくという悪循環。
記念日もいつの間にか端折られ
思い描いていたサザエさん一家のような
明るく愛に満ちた理想の家庭像から程遠く感じてしまい
よその家族が仲睦まじく見えてうらやましくなって…。妬ましくもなって…。
こんな結婚生活ならもう別れてもいいかな。
この先も共に暮らしていくことはできないかな…
と考えるのは一度や二度ではありません。
そんな悶々としていた時に、答え探しをするかのように
たくさんの本を読んでみたところ
そこから得たヒントがいくつもありました。
「ウチはウチ」
「他者ではなく過去の自分と比較すること」
「自分が思い描いた理想は自分のものであって
相手に対して押しつけるものではない」
「理想は途中で変えてもかまわないし
誰に迷惑をかけることでもない」
「頑なに理想を貫く必要はどこにもない、
自分の考え方を柔軟にできるように
少しずつ変えていけばいい」
そんな言葉との出会いに勇気づけられ
今までの自分を振り返り、自分の言動や行動が
子どもの成長にも影響を与える可能性が高いのではと
ハッとしたあの時。
そこから、まずは主人のことを客観的に
観察してみることにしました。
動物園でナマケモノの生態を観察するように(笑)
この人はこういうことは上手にできて
こういうことは面倒でイライラや不満を感じてしまうのか…
周りが察してくれる環境で育ったから
自分がやらなくても済んだことが多いのか…など
逆の立場で考えたら
主人から見た私はどう見えているのだろう?
言うほど家事は見えるところしかできていないし
褒められて育っていないから手の平で上手く自分を転がせてない…
と観察されているかもしれません。
このことで、あきらめともとれますが、
相手に対する期待値をフラットにすることができたと実感しています。
良くも悪くも
精神的な成長に気づきを与えてくれる相手に出会い
自分が人としてまだ磨かれていない部分が多いことを知り
まだ足りていないものを得る必要があったのではと考え直しました。
親、兄弟との育ってきた環境の中では経験できなかったものや
自分が親になって実践から学ぶものはとても多く
乗り越えていかなければならない子どもが巣立つまでの壁を
いくつも越えていくためには
主人の協力がなくてはならなかったのだなあと。
今20年の歳月が過ぎ
子ども~大人への成長段階で例えるなら
私達夫婦はちょうど思春期を迎えているのだと思います。
私も更年期で二度目の思春期に突入しました。(主人もですが…)
夫を見ているだけでイラッとすることが多くなり
加齢臭や主人の視線、生活の中でのささいな事が気になり過ぎたり…
そんな場面は、より思春期の子どもと反応が同じなので笑えてきます。
家族の生活を支え稼ぐことに全力を注いでくれている
主人には感謝をしつつ、
主人のできていないことに対しては
ギャンギャン言わずサラッと受け止める。(ここは相当の忍耐が要ります)
覚悟をもって大目にみるということを実践中です。
子どもたちのためにも
機能不全家族になることは極力避け
子育てのパートナーとしてもうしばらくは
お互いに協力し合わないとと思って修行に励んでおります。
文:スタッフroko
代表:椎名 あつ子