ビッグヒストリー
坂本龍一さんが亡くなりました。
昨年の6月に月刊誌の「新潮」で
「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」という連載を開始し、
がんがステージⅣであることを明らかにした時はショックを受けました。
連載の題名を見ただけで、
彼が死を覚悟しつつ、残された時間の中で
人生を振り返っておきたいと考えたことがわかりました。
彼ほどの有名人が病状を赤裸々に公表するには
どれほどの覚悟と勇気がいることでしょう。
しかし彼は夏目漱石が49歳で亡くなったことを引き合いに出し
「ぼくは十分に長生きしたことになる…(中略)
…せっかく生きながらえたのだから、敬愛するバッハやドビュッシーのように
最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っています」とコメントしています。
偶然にもこの数週間、
写真家の幡野広志さんの連載エッセイを読む機会がありました。
幡野さんは36歳にして多発性骨髄腫という血液がんに罹患し
余命3年と宣告されましたが、治療しながら写真家として
またエッセイの著作などで活躍されています。
幡野さんはあえてユーモアを交えながら自らの経験を語りますが、
「がん患者に「頑張れ」という声掛けはやめたほうがいい、
なぜならがん患者はすでに限界近くまで頑張っているからだ…(中略)
…そもそも言葉をかけるのではなくて、言葉を聞けばいいのだ」と。
そして「がんになると絶望感と孤独感で死にたくなる」とした上で
それでも死ななかったことについて
自殺を考える状態から現在までうまく回復できた3つの柱を挙げています。
一つ目は適切な標準医療で痛みや苦しさを可能な限り取り除くこと、
二つ目は、なんでもいいから継続して得られる収入の確保。
仕事ができない人は生活保護に頼ること。
そして三つ目は、自分が役に立っているという実感。
「ありがとう」を継続して確保すること。
幡野さんの場合は入院中に手品を勉強して
病棟のロビーで子供たちに披露して喜ばせたり
家では家事を継続したと綴っています。
特に三つ目の柱だけは「頑張ろう」と強調しています。
この三つ目の柱は、人の役に立って感謝されることがいかに重要で、
生き甲斐につながるかを示していると思います。
語弊を恐れずに言えば、坂本龍一さんにとって音楽を作ることが、
この三つ目の柱だったのではないか…と勝手に考えたりしました。
私は幸運にも坂本龍一さんが最後に取り組んだ、
昨年12月11日に世界に配信したピアノコンサートを視聴することができました。
私は映画シェルタリング・スカイの曲が大好きなのですが
痩せ細って血管が浮き彫りになった長い指で一つ一つの音を確かめるように
丁寧に優しく弾いていました。
そして、真っ白な美しいサラサラの髪の間から見える顔の表情からは
遠い果ての世界をまっすぐに見つめる瞳の中に
静かな月のような光が見えているように思いました。
それはきちんと覚悟して死を受け入れた人だけが味わうことのできる
尊いぬくもりのような
息づかいのような
そこに存在するおだやかな空間のような
時が刻まれる音のような
そんなフォルムを私達に与えてくれていたように思いました。
彼は永遠にたくさんの人たちの心の中に
生き残り続けていくことでしょう。
日本人として誇りに思います。
坂本さんが好んだラテン語の一節は
Ars longa vita brevis (芸術は長く、人生は短し)
心からのご冥福をお祈り致します。