変わっていく「私」と変えられない「私」
日が長くなって来ました。
季節、つまり春夏秋冬が生まれたのは、
月のおかげということを
最近ある本を読んで知りました。
その本によると、
地球に衝突した天体によって
地球の自転が傾いたおかげで
また衝突したときに飛び散ったカケラが
集まってできたのが月だそうです。
そして月の引力がなければ、
朝は夏、夜は冬というように
季節がころころと変わっていたかもしれず、
さらにそれまでの地球の自転速度は
一日8時間の猛スピードで暴風が常に吹いていたのが、
月の引力のおかげで一日の長さが24時間になったとか。
(佐治晴夫著「この星で生きる理由-過去は新しく、未来はなつかしく」)
もちろん全ては気が遠くなるぐらい遥か昔に起こったことです。
私たちは壮大な宇宙のメカニズムの中にいて、
宇宙の歴史でいえば0コンマ数秒にも満たない
ごく短い時間を生きているわけですね。
人にとっては春の訪れは多くても100回程度に限られますが、
宇宙の営みは変わらず続いていく。
この「永遠」の中に皆が生かされ、
次世代へとつながって行く永続性に
なにかしら安心感を覚えます。
宇宙について思いを馳せながら
朧月を探していたのですが、
朧(おぼろ)とは
月偏に龍となっていますが
龍というのははっきりしない様子を表す
擬態語という側面があるそうです。
そして朧月とは
春の夜のしっとりした空気の中で
様々なものがぼんやりと不確かにかすむ情景
でもあることなのだそうです。
(意味解説ノートより)
毎日、私たちが悩んだり苦しんだり
ストレスを感じたりの日々の様々な問題が
時に朧月のようにぼんやりと不確かにかすめて見れていけたら
それはそれで美しいことだなと
まだ少し肌寒い夜に月を見上げながら
ぼんやりと考えた日でもありました。
それにしても
おぼろ月夜…なんて素敵な日本語なのでしょう…。