過去の心の中
自分のことは自分が一番良く知っている
と思うのは当然ですが、
果たしてそうでしょうか?
先日たまたま
自分が写ったビデオ映像を見て
愕然とする機会がありました。
自分はこんな風に見えるのかと。
自分の声も
意外と録音で聞くと違和感があるものです。
人が一生自分では見ることができないもの、
それは自分の顔です。
鏡ではみることができますし
写真や映像を介しては可能ですが
直に見ることはできません。
当たり前のことですし
普段さほど不自由は感じないとはいえ
一番よく知っているはずのものを
自身で見ることができないという矛盾、
皮肉な事実といえます。
誰かの顔をじっと見つめたことはありますか?
それはパートナーであったり
子供だったり、仲の良い友達だったり、
笑顔のまなざしや口元を見て
こんなに優しい顔なのだと改めて思ったり、
可愛くて思わず見とれてしまったとか
目をつぶって眠っている顔を
愛おしく見ていたとか。
自分以外の人にしかわからない
自分の姿や振る舞いがあること、
他人の目に映る自分こそが
案外本当の自分なのだということ、
そう考えると
自分をよく見てくれている人の声に
耳を傾けることが大切だと思えてきます。
自分を見つめてくれる人を大事にして
自分もその人を見つめる、
そういう相手がいれば幸せですし
そこに感謝や尊敬を持つことができれば
お互いに自分自身をより良く知ることができ
ほんとうの自分は
相手の目の中に映っている
自分なのかもしれないと思えるのかも知れません。