「無関心」という罪について
最近、本当に思うこと。
みんなも、私も、
つまり世界中の人たち誰もが
答えがないことに不安で
怖れているように思います。
今私たちが不安で恐怖なのは
闘っている相手が(COVID-19)
どこから生まれてきて
どんな形で存在していて
何を好み、何が嫌いで
いつ、どういった形で消え去るのか…。
誰も、何もわからないのに
毎日、TVからのニュースでは
偽りかもしれない数字だけを
何の目的も見えないまま
ただ、知らせてくるこの現実に
私たちは疲れてきているよね。
でも昨年の夏を思い出してみたら…
見上げれば当たり前にそこにあった
広い広い透明に近い青色の空とか
この時期、
初夏のウキウキと心がはずむ
まぶしい程に希望に満ちた
風の流れの感覚とか
草木のむせかえる程の生命の力とか…。
横にいる人と一緒に
夏を感じたいと思っていた貴女、
家族だから味わえる大切な
おいしいバーベキューの時間と空間。
たくさん たくさん
幸せや喜びが転がっていたはずなのに
今、最近はたくさんの人が
答えのない、見えない物への
恐怖や不安のせいで答えが欲しくて
無意識に自分で
答えを出したがってしまっているみたい。
「もう、何をしても無理に決まっている」
「もう、別れるしかないのだろう」
「生きていてもしかたがないのかもしれない」
「この先、こんな時代に生きる意味などあるのか」
「きっと私がダメなんだろう」
「私があなたを許せない限り、やはり無理なのだろう…」
など、たくさんの人が
極端な答えを出したがってしまう時だなと
本当に感じています。
まず、答えを、急いで出すのをやめてみませんか。
今はまだわからないことが多いから…
あっという間に桜も味わえず春が去って
あっという間に夏が来たし
COVID19はまだいるけれど…
でも私たちは生きているよ。
横にいる人
前にいる人
いつもいる人
近くにいる人
あなたを知っている人
笑って話せる人
一緒にごはんを食べれる人
見守りたいと思う人
助けたい人
助けてもらっている人
けんかできる人
ごめんね、と言える人がいる人
好きと思える人がいる人
みんな、みんな、いろいろだけど
みんな素敵な人たち…
だからもう少し
つらいけど、疲れるけど
苦しんでるけど
答えを出そうとせず
前だけ向いて
とにかく一歩一歩
歩いてみない?
一緒に、ね。
今やれることだけを精一杯やりたい。
それが今、大切なことだと思うから。