家族がうつと言われたら(スタッフ)
みなさんは、
「ルールは守るためにある」
という言葉を聞いたことがありますか?
私はいつどこで聞いたのかも
覚えていませんが、
耳にしたことがあります。
そしてこの言葉の意味を
「ルールというものは
私たちがそのルールを守ることを目的として
存在している」
という意味だとずっと思っていました。
しかし、最近、そうではないと気づきました。
少し前に開催されていたラグビーワールドカップが
テレビでも試合中継されていました。
その試合中継をテレビで見ていたのですが、
ラグビーのルールがよくわからないのです。
なぜこのタイミングでこうなるのか?
なぜこういう行為は禁止されているのか?
さっぱりわからないと思いながら観ていたら、
隣で観ていた夫が、ふと
「あぁ、選手を守るために
こういうルールになってるのか」
とつぶやいたのです。
それを聞いて、私も「なるほどなぁ」と思いました。
そして気づいたのです。
「ルールは守るためにある」の意味に。
これは、
「ルールは
誰か(あるいは何か)を
守るために
作られている」
ということなのだと。
わかっていた方にとっては、
何をいまさら・・・ということだと思います。
今までなぜそれに気づかなかったのか・・・
というよりも
「ルールは守るためにある」という意味について
考えたこともなかったのです。
そう気がついてみると、
全てのルールには
何かしらの意味があって作られていることに
気がつきます。
長く使われてきたルールなどは
ルールが作られた時代と
現在とでは状況が変わっていて
現在に合わなくなっているものもあります。
誰かを守るために作られたルールなのに、
誰かを追い詰める結果になってしまい
ルールが改正されることもあります。
時代や文化によって
ルールは変わる。
それも誰か(何か)を守るためならば
当然のことだと思います。
時代が変わっても
変えてはいけない大切なルールもあると思います。
けれど、よく問題になるのは、
時代が変わっても
とくに意味も目的も検討されず
昔のまま変えられずにきたルールです。
これはまた考え直す必要があるのだと思います。
この数年は、“ブラック校則”と言われる
理不尽な校則が話題になっていますが、
理不尽だから変えようというだけではなくて、
どんな背景があって
どんな目的でこのルールになったのか、
同じ目的で現代に合わせたルールは
どのような形になるのか、
そんなことを考えてみることが
大事なのかもしれません。
もしよかったら、
身近なルールについて
私たちは誰を(何を)守るために
そのようなルールになっているのか、
考えてみてはいかがでしょうか。
文:スタッフsachi
代表:椎名 あつ子