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昔々、私はアラブの国に住んでおりまして、
その時感じた砂漠のことを
私の本「ゆがんだ愛 それから」の
はじめに書きました。
あの光景のすべては
私の原点でもあり、
私にとってはカウンセラー人生の
きっかけでもありました。
今年で、横浜心理ケアセンターを開設して
20年が経とうとしているこの時に、
1つの区切りとして
再びアラブのあの砂漠の地に
原点を求めて行ってきました。
あの頃感じた
砂漠の香り、形、色、
太陽の光と影の2つの顔、
無の世界の中からの叫び
などの数々を
もう一度観て感じて
私の魂を呼び起こしたかったのでした。
あれから30年・・・
砂漠はたくさんの観光客にあふれ、
何もなかった砂には
ジープのタイヤの跡が
模様のようにかたどられていて、
ところどころ大きな草が生えていました。
私が昔感じた
極限の存在でも、
残酷な世界でもなく、
あの頃のような
月の光も星の光も
見えにくくなっていました。
私は、あまりの変化を受け止められず、
受け入れられない切なさでいっぱいの感情を
押し殺しながら
ずっと砂漠を見つめていました。
「あの頃のあなたはどこへ行ったの?」
と心の中でささやきながら、
砂を両手でつかみ
さらさらと指の間からこぼれて
地面に落ちていく砂を
見ていました。
太陽が少しずつ砂漠の向こう側に
ゆっくりと落ち始め
あたりが一面、
オレンジ色に輝き始めたとき・・・
たくさんのツアーの人たちが
いっせいに写真を撮り始めました。
私はとにかく1人になりたくて、
砂の丘の丘を
一生懸命走って登って登って
誰もいない空間を探して、
その上に立ちました。
そこには昔と変わらない
やわらかなオレンジの太陽の光と
純粋な砂の姿が
確かに、存在していました。
「おかえりなさい」
そんな声が聞こえた気がしました。
太陽の光も、
砂のひとつぶひとつぶも
変らない世界が
そこにはありました。
変ったのは、
砂漠がたくさんの人々を
受け入れたことでした。
誰も寄せ付けない
すべての生命さえも受け入れない世界
だったけれど、
ほんの少し受け入れ始めていたのでした。
ただ砂漠のもっともっと奥には、
誰も入れない世界は残されていて、
砂漠は本当は何も、
何一つとして変わっていないのだと
思いました。
ただ、自分の存在を知ってもらうために
ほんの少し受け入れる覚悟をしたのだと
思いました。
あれから30年の月日の中で、
あたりまえに私も歳をとりました。
ただ今でも
私の中で変わらないことは、
果てしない自然の世界を求めていて
無である美しさと
凛とした砂漠の姿が
私には原点であるということでした。
光があるから影がある
喜びがあるから悲しみがあり
安定があるから不安があり
真実があるから偽りがあり
愛があるから絶望がある
その意味をこれからも
生きていく中で
大切にしていきたいと
心から、思ったのでした。