子どもの心理カウンセリングについて
先週は私の誕生日でした。
誕生日とは、あたりまえですが、
自分がこの世に生まれてきた日です。
つまり、産んでくれたことに
感謝する日でもあります。
当日、両親から
ピンクの蘭の花が届きました。
「いつまでも、こうして貴女の
お誕生日を祝えることに感謝です」
と、80歳をとっくに過ぎた両親からの
メッセージがついていました。
私は、とっくに50歳を過ぎ
いい大人ですが
両親にとっては、
私はやはり娘なのだと
実感したのでした。
ここ横浜心理ケアセンターにも
親子(年老いた両親と大人の子ども)の
相談があります。
残り少ない人生となりつつあるため
長い間、連絡がとれていなくて
関係が崩れたままの息子との
修復を望む両親からのご相談、
老後の経済的な問題を
弁護士に伝える前に
子どもたちと話し合いたいけれど
どう話していけばいいのかという
両親からのご相談、
そして、もう会いたくないので
忘れて欲しいという気持ちを
伝えて欲しいという娘さんからのご相談・・・
このほかにも
いろいろな現実がありますが、
カウンセリングという領域を
越えたご相談も
数多くあります。
ただここに至るまでの
さまざまな、おびただしい
葛藤や、苦しみや、
隠された事実や、
理解し合えずに来た親子の時間が
あることを知ることも
正直、数多くあります。
産まれてきたことを恨んだり、
産んだことを後悔したり、
親子である事実を
受け止めることに
悲しみや絶望があったり、
人には、人に言えないことが
数多くあります。
それでも、毎年、
誕生日はきちんと、
望まなくても、望んでいても、
訪れます。
私は、誕生日は、
母が産んでくれた日として
感謝もしてきていますが
何か見えない力によって
(これが神というのであれば
それでもいいのですが)
この世に生まれるため、
何かの目的や使命を
与えられた日でもあると
感じています。
その目的や使命は、
決して知らされることはなくても、
本当は、
何かによって導かされているのだと
感じるのです。
私たちの命は
宇宙から見ると
とてもとても小さな物です。
でも大きく偉大な宇宙の中の
1つの星のような命です。
この与えられた命を
手を合わせて、感謝したい。
それが、産まれた日でもあると
思っています。
この歳になると
ある程度見えてくることがあります。
そして、その中で
やりたいこと、できること、
したくないこと、できないだろうこと、
そして必ずしていきたいこと、
そんな事を自分の中で
整えながら
ゆっくりと息を吐いて、吐いて、
吸って、吸って、
私の人生の時間を
大切にしたいと思っています。
そんなことを考えた
「生まれた日」でした。