「後悔しない事業承継」のために

高齢になった中小企業の経営者から「そろそろ会社を譲りたい」「後継者がいないのでM&Aを考えている」という相談をいただくケースは多くあります。長年にわたる事業への責任を果たし終え、次の人生に進みたいという真摯な思いからのご相談です。しかし、実際にお話を伺うと、会社が最盛期を過ぎ、売上や利益が下降しており、取引先や従業員も減少しているといった現状に直面しているケースが少なくありません。中には債務超過や後継者不在が重なり、譲渡先の候補を探すこと自体が難しい場合もあります。
このような状況では、M&Aによる譲渡の実現は容易ではありません。買い手企業や後継希望者から見ても、魅力的な投資対象として評価されにくく、交渉が進まないことが多いのが現実です。経営者の側からすれば「なんとか会社を譲りたい」と相談していただても、実はその根底にある目的は「会社を売ること」ではなく、「自分が安心して引退したい」という願いであることに気づかされます。つまり、M&Aは目的ではなく、引退を実現するための手段の一つとして考えておられるのです。
そのため、そのようなケースでは、単に「M&Aが成立するかどうか」を検討するのではなく、「経営者の望む引退のかたち」を共に考えることから始めます。場合によっては、M&A以外の選択肢――たとえば、事業の縮小・整理を行いながら段階的に撤退する方法、不動産や知的財産などの資産を活用したリタイア設計など――を組み合わせることもあります。
「譲渡できない=失敗」ではなく、「どうすれば納得して次の人生を迎えられるか」を見据えたサポートが求められます。
一方で、理想的なM&Aによる事業承継は、経営者にとって非常に魅力的な引退手段となり得ます。自らの想いや企業文化を理解してくれる譲受企業に事業を託し、従業員の雇用を守り、さらに譲渡対価によって経営者自身の老後資金や新たな挑戦の基盤を得ることができます。これを実現するための鍵は、「早期の準備」と「自社の価値の把握」です。
会社の価値は、売上や利益だけでなく、取引先との信頼関係、従業員の技術力、地域社会とのつながりなど、無形資産の積み重ねによって形成されています。こうした価値を整理し、磨き上げる時間を確保するためにも、元気なうちから事業承継の準備を進めることが重要です。
経営者の引退は、誰にでも訪れる避けられない局面です。しかし、その迎え方によって、会社の未来も、従業員の人生も、そして経営者ご自身の余生も大きく変わります。M&Aはそのための“手段”のひとつであり、「会社を売ること」そのものが目的ではありません。
「自分が築いたものをどう残すか」「どのようにバトンを渡すか」――その視点を持ってこそ、真に意義ある事業承継が実現します。



