「伝えると伝わるは違う?」都市伝説から学ぶ~
「心地良い」・には2とうりある。
「物理的心地良さと、心理的心地良さ。」
これまでの日本は「物理的心地良さ」を追求した。
そして今後は、「心理的な心地良さ」が求められるようである。
いわゆる、「形よりも心。」だと言う。
しかし、本来は「両方の心地良さ」が必要である。
現在、例えば ひきこもりさんが社会問題化しているが、これに見るように若者が「心理的心地良さ」を重視している傾向がここにあるのであろう。
心重視も非常に大切ではあるが。・・。
例えば私は、心理学をカウンセリングのため勉強した。現在も続けている。しかし、簡単に言えば、心理学と言う学問は、なくても本来は充分日常の生活は営めるのである。(研究や学問として学ぶのは、又別ではあるが。)
そこで私は思う。やはり「両面ではないかな・」と。
心は大切であり、当然「魂の入ってない仏像は仏像ではない。」
しかし、仏像という「形」もないと想いを切実に語られようと、理解はし難いというのが常ではないだろうか。
これは皆さん色々なお考えがあると思う。
私は、「偏る」ことが好きではない。
何事もバランスが常に必要であり、どちらかに偏る事を好まない。
これには、理由があり。私自身の内面のあり方がそのようにいつも、真ん中を好む気質のようなのである。
現実リアル(物質)と、非現実(心)の真ん中の世界に自分をおきたいのである。 → これは、これまでの勉強においての分析による。
あっちこっちと両面を浮遊していたいのである。贅沢ではあるが。・。
人間、それぞれで「物理的心地良さ、心理的心地良さ」
どちらを好むか・・・は好き好きである。
よく「一流でありたい!。」と心を訴えられる。素晴らしい~!と思う。
そして、そこに、「納得です!」と言えるイチローの見せる形は(結果)やはり欲しい・・。と思うのである。 (笑)
例えば一流とは、「一つの流れ」と書くわけだから、どちらか一方ではいけないのであって。・・。
そんなこんなを内面で思いながら、コラム(形)にする・。
これはまさに、「両面」である。(笑)