第12回 お墓参り写真展
当朝日山浄苑にある我が家のお墓です。
実は我が家のお墓は私が高校生の時、年の離れた兄2人と親が購入していました。
ただあまりに遠方で(片道3時間)、後に私がこういう仕事をし出した事もあり、こちらに移転しました。
ただその際、この五輪塔に建て替えました。
五輪塔に関しては言い出すと果てしなく長くなるので、
他の上手くまとめておられる御方のお言葉を少しお借りして・・・
五輪塔は、誰によって考えられたものなのでしょうか?
それは真言宗の開祖「弘法大師空海」ではなく、空海から300年後に登場した真言宗の中興の祖といわれた「覚鑁かくばん上人」であります。
覚鑁上人は高野山の最高位である金剛峰寺の座主にまでなったことが有りますが、元は「「高野聖こうやひじり」だったことが覚鑁の思想と行動に決定的な影響を与えたと言われています。
また高野聖であったことを思想のバックボーンとして真言と浄土の同一性を唱え、五輪塔に死後の即身成仏の意味を込め、五輪塔が生まれる原理・理論となった「五輪九字明秘密釈ごりんくじみょうひみつしゃく」を作りました。その中の「五輪塔図」(下記の図)がこの塔の原型になったと言われています。また五輪塔とは密教の即身成仏を完成した姿で「三密」(身密・口密・意密)を実践している姿であります。
高野聖・・・下級僧で高野山に隠棲しながら念仏修行し、後に諸国を遊行し積極的に勧進を行った僧。
といったところでしょうか。
五輪塔を語る上で「覚鑁かくばん上人」と「五輪九字明秘密釈ごりんくじみょうひみつしゃく」
は欠かせません。
それとこの図。
「平安中期以後、供養塔として用いた」
「即身成仏が完成した姿」、
「五輪塔のお墓を墓地に建てると、特別な修行をしなかった者も、亡くなった人はすべて成仏し往生できる」
といった言葉の方が伝わりやすいかな?
いずれにしても一般的に言われる50年を過ぎた仏さまを云々というのは私には馴染みませんでした。
私は世話になった母親に何も返せずに死なれた気がしました。
美味いものを食べにいく、珍しい景色を見せに出掛ける、身体が丈夫ではなかった母がそれを望んだか
どうかは分かりませんが、とにかく死なれてはそれもかないません。
せめて、と思って建てた五輪塔でした。
兄たちはよく分かっていないながらも私の熱意に押されて賛同してくれました。
よかったら、少し興味を持っていただいたとしたら、「五輪塔」の事、ちょっと調べてみてください。
今は分厚い百科事典を引っ張り出す事はなくなりました。
便利になりましたね。
これはウチの事務所に張ってある西大寺の五輪塔のポスターです。
日本石材工業新聞さんから送っていただいたものです。
うん。確かに。お墓は美しい。