恋人へのプレゼントは自分で選ぶ派?それともリクエストを聞く派?
こんにちは。まちるど代表の木村知子です。
お久しぶりです。長らくこちらでの記事が途絶えてしまいましたが、また新たな気持ちで書いていこうと思います。よろしくお願いします。
今日は久しぶりのコラムということで、楽しい話、笑いについて書いてみたいと思います。
みなさん、毎日笑えていますか?
私はどんなときも楽しいことをして笑っていたいと思っています。しんどいときも、何だか人生がうまくいかないときも、困ったときも。笑えるって私にとってはとても大切なことで、笑えないときが本当にまずいときだと思っています。
私は教室の生徒さんたち、親御さんたちのことを考えているときはいつも真剣勝負です。でも、例えばお母さんたちがどんなんに落ち込んでいても、ふとした瞬間に笑いの要素があると大丈夫だと感じます。「そんなわけない!大丈夫じゃない!」と思われるかもしれませんが、一瞬でも笑えることがあるときはそれほど危機が迫っているものとしてはとらえず、むしろ焦らず、落ち着く必要があるときだと思っています。子どもたちも同様で、学校に行けなくても、さえない一日を過ごした後でもまちるどでケタケタ笑い声が聞こえてくるようだとあまり心配はないように思います。
少し話は変わりますが、私は英語の先生なのにカタカナ語が苦手です。ディズニーのキャラクターの名前をよく間違えます(ラプンツェルをプランツェルと言ったり)。歌の題名や芸能人の名前も覚えられません。それなのになぜかいつもそれらのことを自信満々に話してしまいます。思いっきり間違っているのに恥ずかしいったらありゃしない(笑)。でも、私がカタカナ語をよく間違える、人の名前を覚えられないと知っている人たちは「ズコーッ!」と笑いながら愛のある塩対応をしてくれます。
さて、私は発達障害や学習障害、どんな特性を持っていてもこの笑いがとても大切だと思っています。この笑いは揶揄したりからかったりするものではなく、誰もが持っている何かしらの弱点を「まぁいっか」の精神で愛し、笑って良しにする感覚です。間違っていたら非を認めたらよろしい、人に迷惑をかけたら謝ればよろしい、失敗したら成功の糧にしたらよろしい、どんなときもやっぱり笑っていたいと思うのです。
でも自分の弱点を認め、我一人でそれを笑いに変えられるほど人は強くありません。そうするためには、自分の弱点を一緒に笑ってくれる誰かが必要です。失敗を一緒に笑い飛ばしてくれる友、沸き起こるイラ立ちや怒りを一緒に笑って流してくれる仲間、そんなこと大したことないよ、大丈夫だよと言ってくれる味方、どれだけ失敗してもずっとそばにいてくれるパートナー。人生で一人でも一緒に笑いあってくれる、そんな素敵な人を見つけられるといいですね。