信号や その3
皆さん、おはようございます。
30年前の今日、私は、地震で飛び起きました。当時私は神戸電鉄の技術部通信係長でした。
その後の記録を物語風にまとめていますので、順次公開していきます。
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タイトル「信号や」
その1
誰かに背中を押されたような気がして目が覚めた。
暗がりの中で目を凝らすと、3人の子どもたちは揃って夢の途中だった。
その寝顔に安心して、ふとんに潜りこむと、今度は地響きとともに身体ごと下から上に突き上げられた。
地震か。
そう思ったとき、妻が跳ね起きて、とっさに子どもたちに体を被せた。
男親の無力さを痛感しながら、遅れて起き上がり、手探りで壁のスイッチを押すと天上の蛍光灯はついた。
電気はきているらしい。
その場でじっと様子を見ていたが、地震は治まったようだ。
私はパジャマのまま、妻とともに居間に向かった。
そして、茶ダンスの上にあったラジオをつけた。
「阪神高速道路が横倒しになっています」
いつもは出番のない古ぼけたラジオからアナウンサーの静かな声が流れた。
しばらく沈黙が続き、他の被害のことは何も言わない。
何かおかしい。
阪神高速が横倒しになっているのに、他に被害がないなんて。
私は、アナウンサーの落ち着き払った事務的な声に違和感を覚えた。
暗闇に隠されて、被害がまだ分からないだけで、きっと大変なことになっているに違いない。
そう考えながら、ラジオを聴いていると、けたたましく居間の電話がなった。
すぐに受話器を上げると
「早朝に失礼します。神戸電鉄の日岡と申します。係長は、ご在宅でしょうか?」
電話の主は私が出るに決まっている電話に向かって、ばか丁寧に話し出した。
「俺や、どこにおるんや」
「今鈴蘭台の管理事務所にいるのですが、どうやら全線で地震による被害がでているようです。運転指令は先ほど全線運休を決定しました」
「係長、出てこられますか?」
日岡は入社後、電気課に配属されてまだ3年の新入社員だったが、会社近くの社員寮に入っていたため、地震発生と同時に運転指令に呼び出されたようだ。
「ごくろうさん、おう分かった。すぐ行く」
私は急いで寝室に戻り濃紺の作業服に着替えた。作業服はすぐに着替えられるように、妻がいつも枕元にたたんで準備している。
それから薄明りの中、懐中電灯を頼りに家の周りを一通り点検した。幸い瓦が2、3枚落ちているだけで自宅に大きな被害はなかった。
我が家は一安心や。
私は、裾に赤い反射テープが巻かれた電気課の黄色いヘルメットを抱えて自動車に乗り込んだ。そして、見送りに出てきた妻に運転席の窓を下げ、静かにいった。
「これからしばらく帰れないかもしれん。家のことは頼むな。何かあったらとなりのおっちゃんを頼れ」
「分かった」
妻はいつものように片手を上げて小さく微笑んだ。



