二泉映月
国語辞典を引いてみた
そもそも『社会人』って何なのでしょうか?
明治書院の国語辞典を引いてみました。載っていませんでした。
広辞苑(電子辞書版)では、複合語として、
①社会の一員としての個人。
②実社会で活躍する人。
と書いてありました。
実にわかりにくい表現です。
ところが、三省堂の例解小学国語辞典を引くと
『世の中の仕事についている人。社会を作っている人。』
とありました。
ここで、『世の中の仕事についている人』と『社会を作っている人』は『and』の関係なのか?それとも『or』の関係なのか?どちらなのでしょうか?
しからば『社会』とは何か?
同じ小学国語辞典では、
①助け合って生活している人々の集まり。
②世の中。世間。
③同じ仲間。
とありました。
そうなりますと、例えば主婦(主夫)は『and』であれば、社会人ではなく、『or』であれば、社会人となります。
おそらく入社式の後を映し出したテレビのインタビューとかで『社会人としての自覚』とか『社会人としての責任』とか言っている人が多いことから『and』なんでしょう。
大学院生の時に…
大学院生の時に頻繁に遭遇したことですが、同年代で既に就職した友人たちから『君たちは社会人とは違って…』などと言われていました。
もっとも、あまり気にもせず、毎日実験室で地道な活動を続けておりました。
『仙人のような生活』と言われたこともありました。
そして数十年後の今、どうなったでしょう?
今でも自社の実験室で作業をする時、特に有機合成などガラス器具を扱う類は大学院生の時に習得した技がほとんどです。構想や進め方、判断基準も大学院時代に学んだことが基礎となっております。
そうなりますと、大学院生としての自覚・責務・責任は果たしていたと思えますが…
一方、『社会人としての自覚』とか叫んでいた人たちの中には今頃になって『もっと勉強しておけば良かった!』とか言って来る人が多いです。
とっくの昔に習得したことだが…
そんな人たちの一人(営業系)から、少し前に『ロジカルシンキングの本は凄く良いから読め!』と何度も何度もしつこく言われました。
これを勉強していないと『社会の恥』とまで言われました。
あまりにもうるさいので、その本を買いました。
入手した本は第59刷だったので、大ベストセラーのようです。
ところが読み始めてあまりにも面白くないので、途中でやめました。
書いてあることは遅くとも大学院生の時には自然に習得していたことばかりでした。実は簡単なことなのに、冗長な表現を繰り返して勿体ぶったり、あまり意味を感じない演習があったり、そんな印象でした。
しかも、初っ端にグラフの脚注とグラフの値が一致しない自然科学の分野では致命的な間違いがありました。実は当初、知り合いからこの本を強引に貸し出され、『大事な本だから必ず返せ』と言われておりました。そこで、わざわざ新品を買うことにしました。借りた本は随分前の刷で、その中で間違いに気付きました。程なく同じ本を買いました。随分あとの刷でしたが、間違いの訂正はなく、そのままというお粗末ぶりまでわかってしまいました。
それでもベストセラーなのでしょう。ある書評には『高い分析力や分析スキルを身につけたいなら、欠かしてはいけない一冊だ。』などと書かれており、この国の『立派な社会人である?』ビジネスマンの皆様方は『金科玉条』のごとく、こぞって読んでいるらしいですが…
社会人だけが特別ではない
人は園児⇒児童⇒生徒⇒学生⇒社会人⇒非社会人という経路を辿るのでしょうか?
もちろん、社会人⇒学生という方もおられるでしょう。
ただ、社会人だけが特別でもなく、立派であるわけでもなく、偉いわけでもないと考えます。その時その時、その場その場でやるべきことをやり、常に最高の絵を描くことを目指す、あるいは、特に園児や児童にはそのように促すことが重要ではないか?と思います。
そして、一部の国語辞典には掲載されてもいないような『社会人』という、実は曖昧な言葉に惑わされてはいないでしょうか?
例えば、最近このコラムでも取り上げました『本学大学院工学専攻博士後期課程への社会人入学』です。『社会人』と聞くと、何か凄いもの感じる人もおられるかもしれません、もちろん、本来、働きながら学業に励み、学位を取得することは素晴らしいことです。しかしながら、ごく一部の大学のことかもしれませんが、その実態は学位のバーゲンセールです。
(粗製乱造は罪?)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5211556/
もはや『社会人』という言葉を悪用しているようにさえ思えますが…




