過疎地で発電すれば災害時にも役立つはず…
皆様方、お世話になっております。日々雑感を綴っております。
前々回にイタルくんについてお話し申し上げました。
同じピアノ教室に通っていました。
(イタルくんの思い出)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5167156/
また、大学に入ってからトロンボーンも始めました。
(ああ交響楽団!)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5159094/
たまたまそこが空いていたということだけでトロンボーンをやっていたので、特別トロンボーンがやりたかったわけでもありません。学校のクラブでやる楽器というのは、そういう事情も多いと思います。
そのトロンボーンですが、どうやら伴奏することが多く、あまり主役になれないことが次第にわかって来ました。
トランペットもやりたい
そのあたりに物足りなさを感じたのか?何を思ったのか?ある時トランペットもやってみようと思いました。
既に働いていたので、ややお金には余裕があった時期でした。
京都市内の大手楽器店でトランペットを買いました。
そして、どういう理由か覚えておりませんが、今度は大阪駅前の楽器店に行きました。
そこで『トランペットを習いたい』とでも言ったのだろうと思います。
店員から『〇〇〇音楽団のトランペット奏者をしている方がおられます。そこへ行かれたらどうでしょうか?』と言われました。
良く聞いてみると、何と実家から徒歩圏内です。
ちなみに〇〇〇音楽団は後に名称が変わりましたが、当時から既に歴史ある日本でも有数のプロ吹奏楽団でした。そして、後にトランペットの恩師はそこの楽長もしていたはずです。
そんなこんなで、早速、そこへ行って習うことにしました。
違いがわかる?
てなことで、トランペットの恩師の自宅へ行ってレッスンしてもらうことになりました。
その家の上の階に大きな部屋があり、小さなシアターのようになっていました。
そこに大量のCDがあり、日々研究している様子でした。そのトランペットの恩師、とにかく知識量だけでも物凄いものでした。
私の場合は音大を目指しているわけでもなかったので、全く厳しさもありませんでした。その代わり、豊富な情報量に基づく様々な裏話などを聞くことが多く、私自身にも探求心もあったので、非常に良かったです。
既に『船乗りと海の歌』という曲について、作曲者の意向を尊重しないことについてご紹介したことがありましたが、この話もその恩師から聞いた話です。
(音を出しさえすれば良いのでしょうか?)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5160204/
他にもいろいろありましたが、特に印象に残っていることは、楽器との向き合い方でした。
当時、一応プロと称する指導者の間では、『中学高校で吹奏楽部に入ると我流でやったがために、悪い癖がつくので、それを抜いて一旦リセットしてやらねばならない。余計なことを身に着けてしまうと大変だ。本来はちゃんとした指導者が最初から教えなければならないのに…』と言われていました。ところが、トランペットの恩師は全く違いました。極めてシンプルで、『楽器を触っている時間が長ければ長いほど良く、我流でも何でも良い。』でした。
とにかく好きになること、これ以上の効果的な上達法はないということです。
あのルイ・アームストロングも少年院で楽器を始めたそうで、当然立派な指導者がいたとは思えません。
(【サッチモの流儀1】スラム生まれ、少年院で出会ったコルネット)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220906-OYT8T50015/
サカイイタル?
そんな中、トランペットの恩師が『ここから少し行ったところに、サカイイタルという後輩が住んでいてな…』という話を始めました。その時はまだサカイイタル=イタルくんと結びついてはおりませんでしたが…
その酒井格さんにまつわる話になりました。
何やら吹奏楽の世界には毎年ミッドウエスト・クリニックという行事がアメリカであるそうで、『毎年12月に、アメリカ・イリノイ州シカゴで開催される、吹奏楽やオーケストラの世界最大級の音楽教育カンファレンス。』だそうです。
(ミッドウエスト・クリニックとは?)
https://www.osakan.jp/20th/midwest.html
トランペットの恩師は毎年そこに行っていたようです。
『たなばた』誕生秘話
そのイベントには展示会もあるらしく、楽譜出版社のブースも並んでいたそうです。
そこへ、酒井格さんが現れ、アメリカとか片っ端から目に映った出版社へ何軒も自らの作品である『たなばた』を売り込んだそうです。
どこへ行ってもほぼ瞬間的に一蹴され、『10年早い!』とでも言われたのでしょうか?酒井格さん、ついに泣きじゃくっていたそうです。
それを見たトランペットの恩師、『ようし、ワシが行って来てやる!』と言って出動し、何をどう話したのか?わかりませんが、まだ行っていなかったオランダの出版社が『これ、おもろいやんか?』と関西弁で言ったかどうか?はわかりませんが、採用してくれたそうです。
その後、『たなばた』は爆発的に売れ、現在に至ります。
信頼関係があってこそ
てなことで、恩師曰く『ワシのおかげで、あいつの今がある!』でした。
『俺が世話をしてやった』は如何にも関西人が大好きな言い回しです。
ただ、これは決して悪いことではありません。
お互いの信頼関係があってこそなのです。
技術顧問をしていて思いますが、なかか最近は社員間での信頼関係構築に苦慮している場合が多いみたいです。若手の気質が変わって来たからでしょうか?
あるいは、スポーツ選手の多くがインタビューで『これまで関わってきた皆様方のおかげがあってこそ…』という言葉に本心ではない嘘っぽさを感じるのは気のせいでしょうか?
世の中全体に関西人の世話焼き文化をいささか疎んじる傾向があるのかもしれません。
AIが発達する世の中では時代遅れなのかもしれません。
しかしながら、世話焼きがいなければ、名曲『たなばた』は誕生しなかったはずです。
研究開発においても、同じことが言えると思いますが…