「誰かに認められること」が目的ではない!/文明・構造(思想)編(2-5:危険な承認欲求を手離す)
生活短観
大いなる誤解があるので、改めて言う。
どうでも良い、というのは、本当にどうでも良いわけではない。
やることはすべてやった上での「どうでも良い」だ。
「人事を尽くして天命を待つ」が一番しっくりくる。
やるべきこと、全力、などはすべて尽くしたうえで、
その結果は、どのような結果であれ、
必要なこととして感謝で受け取る、という意味だ。
努力もせず、全力も出さず、どうでも良い、となると、
間違いなく破綻する。
これは今までも相当誤解されてきたので、はっきりと申し上げておく。
この世も、人生も、そんなに甘くないし、むしろ厳しく、冷たい。
なので、このコラムは、ほとんどの人に対しては、毒だ。
読まない方が良いと思う。
フラクタル共鳴
自然(じねん)に至ると、
人は軽くなる。
明るくなる。
これは気分の話ではない。
構造の話である。
ここまで述べてきたように、
人間の内部構造も多層構造である。
動物脳があり、
錯覚の自分があり、
それらを観測する霊性がある。
それぞれが否定されず、
しかし正しく位置づけられたとき、
内部に無理な緊張がなくなる。
このとき、
人間の内部構造は、
宇宙の構造とよく似た形になる。
宇宙は、
単一の層ではできていない。
ミクロからマクロまで、
低次元から高次元まで、
異なる階層が同時に存在し、
全体として安定している。
人間にも霊性があるように、
宇宙にも高次の霊性がある。
自然(じねん)の状態とは、
人間内部でも、
同じ構造が成立している状態である。
霊性が主導権を持ち、
動物脳は存在するが、
暴走しない。
欲も反応も起きるが、
全体を歪めない。
それぞれが、
自分の階層に留まっている。
(正しく位置づけられている)
このような構造が成立すると、
人は現実との摩擦を起こしにくくなる。
無理な自己主張が減り、
過剰な防衛が減り、
現実をねじ曲げる必要がなくなる。
その結果として、
・判断が現実と噛み合う
・行動が過不足なくなる
・他者との衝突が減る
こうした変化が起きる。
このとき起きていることを、
人はしばしば、
「運が良くなった」
「流れが来た」
「宇宙が味方している」
と表現する。
しかし、
ここで起きているのは、
超自然的な介入ではない。
構造が整った結果、
無駄なノイズが減り、
エネルギーのロスが減り、
宇宙との位相が合ってきただけである。
ラジオが、
正しい周波数に合ったとき、
音がはっきり聞こえるのと同じだ。
新しい電波が出たわけではない。
もともと流れていたものが、
受信できるようになっただけである。
軽さと明るさは、
偶然ではない。
それは、
構造が整ったときに必ず現れる
物理的な兆候である。
重く、暗く、
嘘で固められた構造は、
摩擦と衝突を生み続ける。
軽く、明るく、
無理のない構造は、
自然(しぜん)と周囲と噛み合っていく。
この噛み合いを、
ここでは「共鳴」と呼ぶ。
それは、
何かを引き寄せる力ではない。
拒んでいたものが、
通るようになる現象である。
だから、
この共鳴は
目指すものではない。
狙うものでもない。
正しい苦しみを自覚し、
自明行を行い、
祈りと感謝を経て、
自然(じねん)に至った結果として、
勝手に起きる。
そして、
一定数の人間にこの構造が成立するとき、
社会全体でも、
同様の相転移が起きる可能性がある。
それは、
誰かが主張したからでも、
思想が広まったからでもない。
ただ、
構造が揃ったから起きる。
これが、
100匹目の猿の話として
語られてきた現象の、
一つの読み替えである。
大好きな炭水化物よ、さようなら!



