さなえを止めるな!絶対に孤立させない!/文明・構造(思想)編(3-6:分断・攻撃性)
生活短観
たんぱく質生活を始めて、今日で128日目だ。
開始当初は特に、そして今でも次の感情に苛まれる。
甘いものでもラーメンでも、食べたい自分と食べたくない(やせたい)自分。
この二人が同居している。そして、葛藤している。
そう、「葛藤」という言葉こそふさわしい。
本来は一人の自分なのに、言い争っている、戦っている。
まさに、葛藤している。
これは誰と誰が戦っているのか?
もちろん私と私に他ならないが、これはどういうことだ?
食べることに限らない。
一言で言えば
「今日やるか/やらないか」
みんなも、この葛藤に毎日晒されているはずだ。
この二人の存在を冷静に観察できるようになればなるほど、
自分という存在が見えてくる。
人生は好転する。
※この場合、争っている二人とそれを見ている自分なので、
厳密には3人の自分がいることになる。
逆にこの二人の存在が見えなければ見えないほど、
野蛮になり、刹那的となり、
最終的には、糖尿病になったり、目標を達成できなかったりして、
最悪の場合、人生が破綻する。
4−2 二重構造としての人間
人間を単一の原理で説明しようとすると、
即時報酬文明下で起きている多くの現象は説明がつかなくなる。
刺激に反応し、
快を求め、
不快を避ける。
この挙動だけを見れば、
人間は動物と本質的に変わらないように見える。
実際、即時報酬文明が強く作用している場面では、
人間の振る舞いはきわめて動物的である。
動物脳という作用点
糖に反応し、
承認に反応し、
比較に反応する。
そこに善悪はない。
それは、生存のために獲得された反応系である。
即時報酬文明は、
この動物脳に対して極めて相性が良い。
刺激は速く、
結果は明確で、
報酬はすぐに得られる。
そのため、
動物脳は過剰に活性化されやすい。
もう一つの観測点
しかし、人間の振る舞いを長期的に観測すると、
別の作用点の存在が浮かび上がってくる。
自分の反応を、
そのまま実行に移さず、
一度、眺める。
欲が立ち上がっていることを知り、
怒りが湧いていることを知り、
判断が歪みつつあることを知る。
その「知っている位置」は、
動物脳の内部には存在しない。
対立ではなく同時存在
重要なのは、
動物脳とこの観測点が、
入れ替わるものでも、
どちらかが消えるものでもないという点である。
両者は同時に存在している。
動物脳は反応し続ける。
衝動は消えない。
一方で、
それを観測する位置も、
同時に存在し得る。
人間は、
この二重構造を持つ存在として振る舞っている。
世界の見え方が変わる理由
世界が変わったように見えるとき、
実際に変化しているのは、
世界そのものではない。
変化しているのは、
どの作用点から世界が観測されているか、
その位置である。
動物脳から見た世界と、
観測点から見た世界は、
同じ現象を前にしても、
異なる事象として立ち上がる。
これは価値判断ではない。
構造の違いである。
霊性という仮の呼称
この観測点を、
本章では便宜的に「霊性」と呼ぶ。
宗教的な意味は含まない。
神秘的な能力を指しているわけでもない。
自分の衝動を疑い、
自分の判断を相対化し、
それと同一化しない位置。
それが、
即時報酬文明の中で、
一部の人間(本来は全員もっている)に観測されているという事実を、
指し示すための呼称にすぎない。
次の段階へ
この二重構造を前提にすると、
同じ出来事が、
なぜ人によってまったく異なる意味を持つのかが見えてくる。
次節では、
現象と事象の分離という形で、
この違いをさらに具体的に扱う。
大好きな炭水化物よ、さようなら!



