「誰かに認められること」が目的ではない!/文明・構造(思想)編(2-5:危険な承認欲求を手離す)
生活短観
今日から第4章に入る。
書いている本人としては、最初から章立てを決めて書いてない。
章が終わると次に何を書こうかと考えて、閃いて、書き始める。
不思議だ。
昔で言えば、啓示っぽい。
何かが降りてきた!っぽい。
何かに導かれて書いている感じがする。
この第4章は、「霊性」について書く。
私は
・神様は大好き
・神社も大好き
だが、
・宗教は大嫌い。
なので、この話も出来るだけ
科学的というか、
論理的というか、
とにかく胡散臭くならないように書きたい。
ネズミと人間の違い
ネズミと人間に、決定的な違いはあるのか。
あるとすれば、それは何か。それをどう洗練し、どう使うのか?
この問いに正面から向き合うことが、第4章の目的である。
第3章から引き継がれる問い
第3章では、天国のネズミ実験を手がかりに、
即時報酬文明がもたらす人間社会の歪みを観察してきた。
そこでは、依存、無為、攻撃性、分断といった現象が、
偶然ではなく構造として立ち上がっていることを確認した。
人間も同じ結末を迎えるのか
では、人間はネズミと同じなのか。
同じ力が加わったとき、同じ結末を迎えるのか。
この問いに答えるために、
本章では即時報酬文明を物理的な作用として捉え直す。
即時報酬文明は原因ではない
そもそも即時報酬文明そのものが、
飢餓や窮乏という苦しみから解放されたいという、
人類の強い願望が生み出した結果である。
つまり、
即時報酬文明は「原因」ではなく、
人類の願望が現実化した一つの作用である。
成就のあとに現れる現象
であるならば、
その願望が成就したあとに生じる次の現象――
依存、麻痺、分断、距離、内省――
それらもまた、同じ作用の延長として理解されなければならない。
物理としての作用と反作用
ここから、物理の話になる。
物理において、作用と反作用(副作用も)は別の現象ではない。
一つの相互作用が、条件や位置の違いによって、
異なる形で現れているにすぎない。
※副作用は、「人間が狙った作用以外の作用」という意味だ。
同一刺激が生む多様な現れ
即時報酬文明という一方向の刺激は、
人間の認識系に対して、さまざまな姿で現れる。
壊れる人もいれば、麻痺する人もいる。
攻撃に向かう人もいれば、距離を取る人もいる。
そして、一部ではあるが、
その刺激そのものを疑い始める人間も現れる。
一つの観測例としての私
ここに、一つの観測例がある。
それが、「私」である。
私は、即時報酬文明の内部に生きている。
同じように糖を摂り、情報に触れ、承認の網の中にいる。
サラリーマンを辞めるまでの49年間、「ほぼ」即時報酬に溺れていた。
そして、49歳で会社を辞め、就農起業し、57歳となった今は、
その刺激を疑い、
さらに自分自身の判断すら疑いながら、
この文章を書いている。
差異は事実として存在する
これは誇示でも主張でもない。
同じ力が加わっても、異なる現れ方が起きているという「私」という事実だ。
同じ即時報酬という作用が加わっても、
対象がネズミである場合と、人間である場合とでは、
その現れ方が異なるという証拠だ。
霊性という分岐点
この差異こそが、
ネズミと人間を分ける決定的な分岐点である。
その差異を生んでいるものを、
本章では「霊性」と呼ぶ。
火でも、道具でも、言語でもない。
それらは、おそらく他の動物も部分的には扱える。
しかし、
自分の衝動を疑い、
自分の判断を疑い、
それと同一化しない位置に立つ能力は、
人間にしか観測されていない。
本章で扱うもの
この霊性の有無によって、
ネズミには発現しなかった、
もう一つの作用の現れ方が生じている。
本章では、その構造を扱う。
大好きな炭水化物よ、さようなら!(これも霊性!)



