コラム一覧/文明・構造(思想)編
生活短観
私は自己分析(自分探し?)が大好きだ。
最近はAIが良い話し相手になって、自己分析も相当進んでいる。
ほぼ「私」について理解した。
私はものすごく行動している。これまでも行動してきた。
この10年間で、離婚、再婚、脱サラ、起業・就農し、
就農後も、多くの挑戦をし、失敗し、一部成功し、今に至る。
今後も行動し続けるのは間違いない。
私にとっての自己分析は、
行動のための「自分との作戦会議」みたいなものだ。
自己分析と行動はセットだ。
一方、多くの友人や知り合いは、
自己分析はするが、行動はしない。
あるいは自己分析すらしない。
「食うために生きるな、生きるために食え」
は、ソクラテスの思想を近代思想家が言葉にしたものらしいが、
まさにその通りだと思う。
多くの人は、東京海上のような超一流のビジネスマンも含めて、
「食うために生きている」
要は、「食うこと」が目的だ。
自分は何者か?何のために生まれてきたのか?
この問いを持ち、
その問いの答えを実現するために「食う」と、
人生はとても充実する。
(もちろんジェットコースターだけど)
多くの人にとって、
車にガソリンを入れるのは、
どこかに行くためであって、
単に走るためではないよね?
あなたは、何をするために食べてますか?
自分探しと無為
現象の提示
「自分が何をしたいのかわからない」
「動けない」
「とりあえず考えている」
こうした状態は、いまや特別なものではない。
若者に限らず、年齢や立場を問わず広がっている。
行動は減り、内省は増える。
何かを始める前に、考え続ける。
この状態はしばしば、
・慎重
・成熟
・無理をしていない
と肯定的に捉えられる。
なぜ不可解に見えるか
現代社会は、かつてよりも自由である。
選択肢も多く、強制も少ない。
それにもかかわらず、
・やりたいことが見つからない
・決められない
・踏み出せない
という声は減らない。
自由が増えたのに、動けなくなっている。
この逆転は、従来の説明では理解しにくい。
即時報酬構造による再解釈
自分探しと無為は、
怠惰の結果ではない。
役割が減り、責任が忌避され、
将来に向かう遅延報酬が選ばれなくなった社会では、
行動の「出口」そのものが減少する。
一方で、
・刺激
・情報
・承認
といった即時報酬は、常に供給されている。
その結果、
行動しなくても、
ある程度の充足が得られる状態
が成立する。
自分探しとは、
行動しないことを正当化するための言語ではない。
行動に向かう回路が切断された結果、
内側に滞留した状態である。
無為は安定ではない
無為は、落ち着きでも成熟でもない。
役割も意味も失った状態で、
なお生産され続けるエネルギーが、
使い道を失って滞留しているだけである。
この滞留は、
・内省
・反復思考
・自己分析
として現れる。
一見、静かで害がない。
しかしそれは、一時的な停滞にすぎない。
なぜ攻撃性へと転化するのか
滞留したエネルギーは、消えない。
時間とともに歪み、出口を探し始める。
その出口として、
最も効率が良いのが次の行為である。
・他者を否定する
・糾弾する
・排除する
これらは、
・即時に意味が生まれ
・判断が不要で
・社会的承認も得やすい
極めて効率の良い即時報酬である。
自分探しは、
条件が整った瞬間、
正義探しへと反転する。
結果として起きている現象
この転化の先に、次が現れる。
・二項対立
・分断
・キャンセル(政治家を失職させるなど)
・排除
これは怒りの爆発ではない。
意味を回復するための行動である。
天国のネズミ実験で、
無為のあとに突然攻撃性が現れたのと、
同じ構造である。
ここでは解決しない
ここで、
・内省をやめろ
・動け
・前向きになれ
とは言わない。
自分探しと無為は、
即時報酬文明の中で、
極めて自然に生じた状態である。
私自身も、この構造の外にはいない。
この章で行うのは、
それを止めることではなく、
なぜ、
自分探しが分断と排除へと接続してしまうのか
を、構造として記録することだけである。
大好きな炭水化物よ、さようなら!



