どこまでいっても満足しない???/文明・構造(思想)編(1-13:ドーパミンの限界)
生活短観
昨日は雨で出荷休み。
代わりに、春菊農薬散布や依頼されていた草刈りなどをした。
まぁまぁハード。気になっていた仕事をこなすと気持ち良い。
雨なので、ファームドゥもあまり売れないと期待していなかったが、
まずまずの売れ行き。ちょっとホッとした。やっと、年末商戦が始まった。
大方の大根農家が年末までで出荷を完了する。
年明けからが、ウチの出番だ。例年通り、売れますように。
承認欲求は、いつから暴走し始めたのか
承認欲求そのものは、悪ではない。
仲間に認められたい。
役に立っていると感じたい。
必要とされたい。
これは、人間が集団で生きてきた以上、自然な感情だ。
問題は、
承認の「形」と「速度」が変わったこと にある。
前提として、現代人は不安と焦燥を抱えている
ここまでの流れを整理する。
糖と情報の氾濫によって、
即時報酬(即時快)が常態化した。
その結果、
・神経はオンになりっぱなし
・休む時間が失われ
・理由のない不安と焦燥が生まれた
この状態の人間は、
「快」ではなく、安心 を求め始める。
承認は、もっとも手軽な「安心」になる
安心が欲しいとき、
人は何に手を伸ばすか。
・誰かに見られている
・評価されている
・否定されていない
これを一瞬で確認できるもの。
それが、
いいね、再生数、フォロワー だ。
承認は、
即時に効く不安止め になる。
承認は、即時報酬(即時快)として作用する
承認を得た瞬間、
脳ではドーパミンが出る。
これは、糖や情報と同じ回路だ。
・一瞬、気持ちが軽くなる
・一瞬、安心する
しかし、この安心は続かない。
ドーパミンには、限界がある
ドーパミンの性質は、すでに見てきた。
・同じ刺激に慣れる
・効く時間が短くなる
・次は、同じ量では足りなくなる
承認も、例外ではない。
最初は少しでよかった。
やがて、もっと欲しくなる。
ここから、
承認欲求の暴走 が始まる。
承認が「目的」に変わる瞬間
本来、承認は結果だった。
何かをやった結果、
認められる。
しかし暴走が始まると、
順序が逆転する。
認められるために、何をするか
を考え始める。
ここで、自分軸が失われる
承認を基準にすると、
・自分が何をやりたいか
・何に意味を感じているか
よりも、
・何がウケるか
・何が評価されるか
が判断基準になる。
これが、
自分軸の喪失 だ。
それでも、人は「努力している」と感じる
重要なのは、ここだ。
承認目的の行動でも、
人は時間を使っている。
動画を撮る。
編集する。
毎日投稿する。
これは確かに、努力だ。
では、なぜ「時間が積み上がらない」と感じるのか
答えは、
時間の評価軸 にある。
承認は、
・一瞬で効く
・すぐ消える
・次の日には残らない
昨日の承認は、
今日の安心を保証しない。
だから脳は学習する。
「積み上げても、安心は残らない」
承認目的の行動は、時間を「消費」に変える
承認を目的にすると、
時間はこう扱われる。
・反応が返ってくるまでの待ち時間
・次の承認を取りに行くための準備
時間は使われているが、
内側に残らない。
結果として、
忙しいのに、
何も積み上がっていない感覚が残る。
ここで、時間の感覚が揺らぎ始める
承認が切れた瞬間、
人は落ち着かなくなる。
何もしていない時間が、
不安になる。
空白を、
承認や刺激で埋めたくなる。
ここから、
時間そのものが耐えがたいもの になる。
承認欲求の暴走は、文明の設計通りだ
人が弱くなったわけではない。
承認を、
・即時に
・大量に
・数値で
返す仕組みが作られただけだ。
それに、
人間の脳が正直に反応した。
承認欲求暴走の先にあるもの
承認で不安を消し続ける社会では、
・自分軸が育たず
・安心が積み上がらず
・時間が消費される(刹那の承認を得る為に)
不安自体が、隣の芝生は青く見えるという錯覚なら
それを消すための「いいね」「再生回数」「フォロワー数」も刹那の錯覚なのだ。
長期の安心も満足も出来るわけがない。
大好きな炭水化物よ、さようなら。



