文明・構造(思想)編(1-2:この国の異常性)
生活短観
大根が凍る!
ついに、大根の葉っぱが凍りだした。
これまでは早朝収穫していたが、明日からは前日の昼頃収穫となる。
凍ったまま収穫すると、葉っぱがヘナヘナになってしまう。
商品としての見た目が美しくない。
なので、例年、葉っぱが凍りだすと、前日収穫になる。
いよいよ冬だ。
ウチのオーナーのツテで、
元スーパー銀行マンの方にカントウ農材を紹介してもらった。
山形で成功して、群馬にも進出している「農材屋」だ。
群馬の責任者に挨拶し、元スーパー銀行マンも交えて、いろいろと話す。
やはり、レベルが違う。刺激される。
せっかく起業して、事業をやっているんだから、
さらなる高みを目指さねば!と改めて思った。
しかし、農業はそうは甘くない。
・売り先を作らねば、栽培しても意味がない。(大損失になる)
・売り先を作っても、作れなければ契約不履行になる。(信頼失墜する)
・今後の売り先は、大量に買ってくれるけど単価が安い。
・なので、同じ大根でも、作り方を大幅に変えねばならない。
要は、機械化だ!
3年後の本格量産に向けて、もうひと踏ん張りだ!
昔の人も血糖値は上がった。しかし問題にはならなかった
まず理解すべきは、
昔の人も血糖値は普通に上がったという事実だ。
果物を食べれば跳ねる。
米や芋を大量に食べればスパイクも起きる。
ここまでは今も昔も同じだ。
しかし──
昔の“スパイク”は まったく無害 だった。
現代の“スパイク”は 代謝を破壊する。
違いは数字ではない。
環境と構造の差である。
昔は“壊れない構造”が揃っていた。
昔のスパイクが無害だった理由① 糖の総量が圧倒的に少ない
昔の糖の摂取量は、現代とは比較にならないほど少ない。
・白米ではなく玄米・雑穀
・砂糖は超高級品
・甘味は年に数回
・そもそも加工食品が存在しない
血糖を急激に上げる食品はほとんどなかった。
スパイクする“きっかけ”自体が少ない世界。
昔のスパイクが無害だった理由② 摂取量が少なく、頻度も低い
現代は毎食・毎日スパイクしているが、
昔は
・たまに
・特別な日
・たまたま食べられたときだけ
だった。
回数が違う。
頻度が違う。
総量が違う。
だから代謝の負担にはならない。
昔のスパイクが無害だった理由③ 摂った糖はほぼ“即消費”された
現代と決定的に違うのがここだ。
昔の生活は、
摂った糖を 使わざるを得ない 構造だった。
・農作業
・肉体労働
・徒歩移動
・薪割り
・水汲み
・寒暖の激しい環境
身体は常に“燃料不足”気味で、
摂った糖はすぐに燃やされ、余らない。
だから問題にならない。
昔のスパイクが無害だった理由④ インスリン感受性が高すぎた
筋肉量・活動量が桁違い。
現代人が「運動していると思っている運動」など、
昔の生活から見れば 休憩レベル である。
筋肉という巨大な糖吸収装置が常に働いており、
インスリンの効きが圧倒的に良かった。
“入れたらすぐ使う身体”である以上、
血糖が問題になるはずがない。
昔のスパイクが無害だった理由⑤ 内臓脂肪が極端に少ない
内臓脂肪が少ないということは、
・炎症が少ない
・ホルモン負荷が少ない
・インスリン抵抗性が発生しない
・代謝が乱れない
ということだ。
つまり 糖を処理する土台 が完璧だった。
昔は“糖が余らない世界” 現代は“糖が余り続ける世界”
ここが決定的な違いだ。
昔:
摂ったら全部使う。余らない。全然足りない。
現代:
摂っても使わない。余り続ける。
この“余る”という構造こそが、
現代の代謝破綻の最大の原因だ。
スパイクが悪いのではない。
使われずに余る“糖”が悪い。
昔の世界では、そもそも余らなかった。
結論:昔は糖尿病になれなかった。構造的に不可能だった
昔の人は──
なれなかった。
構造上、なりようがなかった。
・糖が少ない
・頻度が低い
・加工食品がない
・甘味が貴重
・食べても即消費
・運動量が多い
・筋肉量が多い
・内臓脂肪が少ない
・インスリン感受性が高い
この条件が揃っている環境では、
糖尿病という“文明病”は発生しない。
現代の日本は、
そのすべてが逆方向にそろってしまった国だ。
だから糖尿病が増える。
当然の帰結である。
大好きな炭水化物よ、さようなら。



