文明・構造(思想)編(1-2:この国の異常性)
文明・構造(思想)編の始まり
今日からいよいよ、このブログを2つに分ける。
一つは今まで通りの糖尿病対策の話。
糖尿病予備軍の私が始めた「たんぱく質生活」**日目、
という題名を、ちょっと変えて、
代謝・生活(実践)編**日目として、継続する。
もう一つは、糖尿病は文明構造として、
起こるべくして起こった文明病であるとの気づきから始まる
文明・構造(思想)編、今日がその始まりだ。
一日おきに、この二つのブログを書いていく。
乞うご期待!!
欲の功罪 ― 飢えてきた生命がたどり着いた絶望の楽園
生命の出発点は「飢え」である
生命は誕生した瞬間から飢えていた。
人間も、獣も、虫も、魚も──すべてが欠乏の世界を生きてきた。
・食べ物がない
・寒い
・危険だらけ
・体力が尽きる
・明日の保証がない
この環境を何百万年も生き延びてきた生命は、
「足りない」を前提に設計され、「満たされること」を最大の願いとして進化してきた。
空腹こそ標準。
満腹は例外的な幸運。
それが生命の初期設定である。
欲とは「飢えの結果」である
私たちの欲望は善悪ではなく、進化の結果だ。
飢えたから求める。
足りないから貪る。
奪われたから守る。
この本能は、生存競争の世界では完全に正しかった。
強い欲を持つ個体だけが生き残れたからである。
人類は生命史最大の夢を叶えた
生命が何百万年かけて求め続けた夢はひとつ。
「安全に飽食できる世界」
人類は文明を重ね、科学を発展させ、物流を整え、効率を極限まで高め、
ついにその夢を達成した。
食料は溢れ、
危険は消え、
寒さは消え、
光も熱も住処も容易に手に入る。
生命史で初めての楽園である。
しかし、楽園が生命を壊し始めた
悲劇はここから始まる。
生命の設計図は「飢えた世界」に最適化されていた。
にもかかわらず、突然というか、ついに「飢えない世界」が訪れた。
結果──構造そのものが崩れ始めた。
食べたいのに、食べると病気になる。
休みたいのに、休むと体力が落ちる。
動物としては成功だが、文明人としては破綻する。
ここに現代文明の矛盾が始まる。
あるのに食べられないという逆転
文明は飢えを克服した。
しかし、飢えを克服した現代人は、、、
「あるのに食べられない」
「食べると太る」
「食べると病気になる」
満たされるはずの世界で、逆に満たされなくなった。
生命史最大の皮肉である。
動かなくてよい世界なのに、動かないと死ぬ
本来、文明は危険をなくし、逃げる必要も戦う必要も消滅させた。
理屈では「運動しないでよい世界」を手に入れたはずである。
しかし現代は逆だ。
「運動しないと病気になる」
動物にとって運動とは
逃走であり、戦いであり、食糧を求めてさまようものであり、
「できれば、やりたくない行動」である。
それら「やりたくない行動」を「やらなくて済む世界」を掴んだ結果、
生命は病むようになった。
文明史最大のねじれである。
このねじれで現代文明の闇をすべて説明できる
・飢えに最適化された生命
×
・飽食を実現した文明
この構造が、現代のあらゆる問題の根源となる。
● 代謝異常(IN/OUTのアンバランス)
● 欲の暴走
● 鬱
● 焦燥
● 自己喪失
● 満足の消失
● 時間感覚の崩壊
すべて、この「生命と文明のねじれ」から生じている。
結論:欲の功罪
飢えが文明=欲によって消えた瞬間、
生命は自らの欲によって壊れ始めた。
文明とは、
「人間が欲を追う無間地獄」である。
ここから文明・構造(思想)編は、
このねじれを脳・代謝・欲望・文明・時間の構造へと広げていく。
次回は
「この国の異常性/いつでも、どこでも、誰でも、安く、簡単に炭水化物が手に入る!」
大好きな炭水化物よ、さようなら!



