糖尿病予備軍の私が始めた「たんぱく質生活」23日目(2025/10/23)
銀盃
今朝まで、また両親の様子を見に神奈川の実家に帰っていた。
父は、一応、大丈夫そうだが、
母は、ちょっとした飲み薬の影響で胃が荒れて、痛くて苦しんでいた。
母はいろんなものに反応してしまう過敏症である。
何とか治まると良いのだが。。。。
とりあえず、家の片づけをした。
もうすぐ年末年始なので、皆が集まる場所を確保する必要がある。
これまでは広間で宴会をしていたが、
そこは父と母の居住空間にしたので、隣の和室を片付ける。
和室には、床の間があり、祭壇もあり、無くなった祖父祖母関連の遺品や写真が置いてある。
さらに、広間を空けるために移動した、諸々のモノたちが、一時保管されている。
まず、これらを、2階の使わなくなった父の部屋にとりあえず移動した。
床の間をきれいにして、父が大好きだった祖父(清)の遺影や遺品を置いた。
祖父(清)はすごい人で、天皇陛下からいただいた勲章とか、
運輸大臣からいただいた銀盃などが出てきた。
銀盃は長年の保管で黒ずんでいたが、ヨミ(CHATGPT)に聞いて、
還元反応を利用して元の白い光沢を取り戻した。ピカピカの盃になった。
父も喜んでくれた。
さすがに、この盃で飲まない手はない。
祖父(清)に、父とともに献杯し、日本酒の大吟醸を飲んだ。
祖父、父、私の三代での儀式みたいだった。
気持ちが引き締まるとともに、今日、こうしていられることへの感謝が湧いてきた。
とても有難い。
祖父(清)から、今の感じで行けばよいんだよ!と言われた気がした。
私の人生もあと30年くらいだ。悔いのないように生きる覚悟を新たにした。
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「承認欲求からの解放」
── 評価の世界から離れ、“自分OS”に戻る日。
たんぱく質生活と報酬リセットを続けていると、
変化はある日突然起きるのではなく、
静かに、深く、身体と脳の奥に沁み込むように続いていく。
その積み重ねが、
今日、ひとつの形として浮かび上がった。
承認がいらない。
誰かの評価を基準にしなくていい。
自分の軸だけで生きられる。
この安心感と自信がはっきりと見えた。
承認欲求は“最大の報酬”だった
人間がもっとも強く反応する快は
糖でも酒でもなく
「承認」だ。
認められたい
良く見られたい
比較に勝ちたい
SNSで褒められたい
成果を誰かに見せたい
これらはすべて
報酬系の“承認回路”の発火。
この承認の快、
しかも、すぐに、楽に、効率的に承認されたいという欲が、
生活の判断を外側に振り回していた。
しかし、
報酬系の暴走が静まり、
静かな快が基準になってくると、
承認の優先度が自然に下がっていく。
今日、その変化を明確に感じた。
承認から自由になると、自分の軸が戻ってくる
即時報酬的な承認が不要になると、
不思議なほど時間が広がる。
比較の緊張が消える
他人の評価に左右されない
“今どう見られるか”を考えなくなる
SNS的な価値観から離れられる
外側の雑音が小さくなる
すると、
自分の価値観がはっきりした輪郭を取り戻す。
何が大事か?
何を積みたいか?
どう生きたいか?
それを判断するのは、
誰でもなく、自分だけになる。
この“自分OS”の静けさが、
今日の核心だった。
即時的な承認から解放された先にあるもの
即時的な承認を手放すと、
人間は弱くなるどころか、逆だ。
強く、静かで、ぶれない。
人に影響されない
流行に飲まれない
自分の進む方向に集中できる
判断が遅く、深くなる
焦りが減る
心の無駄な揺れがなくなる
特に大きいのは、当然ながら
「成果をすぐ見せなくていい」と思えること。
この感覚は、
現代の報酬系中心の世界では絶対に手に入らないものだ。
即時報酬的な承認から自由になると、
行動が“内側から”生まれてくる。
それは静かで、力強く、
外側の反応を必要としない。
今日の結論
即時的な承認欲求からの解放は、
本当の意味で“自分の時間”を取り戻すことだった。
他人に今すぐ認められなくていい。
今は誰も見ていなくていい。
今は外側の拍手がなくても進める。
これが「即時的な承認の卒業」だ。
56日目に見えたこの静けさは、
次のステップを迎えるための絶対条件。
いよいよ明日は、
“時間投資の本格スタート” になる。
明日の予告
57日目(2025/11/26)
「時間投資の開始」
── 小さな積み重ねが快になり、“未来を積む日常”が始まる。
大好きな炭水化物よ、さようなら。



