認知症高齢者の介護と虐待について
憲法記念日に思うこと ~今こそ2025年問題を考えよう~
戦後のベビーブーム世代の中でも、いわゆる団塊の世代と呼ばれる1947年~1949年生まれの方々およそ800万人が、おととし前期高齢者(65歳)に達しました。10年後の高齢者人口は日本の人口の約30%、3,500万人に達するものと推計されています。わかり易く言えば国民の3人に1人は65歳以上、5人に1人は75歳以上の世の中に変わります。
2025年問題とは、この団塊の世代の方々が後期高齢者(75歳)に達することで、年金・医療・介護・治安など様々な問題が急増するという問題です。
これまで我が国の発展を支えて来てくれた団塊の世代の方々が、いよいよ社会保障等の給付を受ける立場に転換していくことで、財政のバランスも崩れていってしまう可能性が取りざたされています。
ここ東北でも少子高齢社会が進み、現時点と同水準の人口を維持できるのは宮城県だけという推計も出ており、ほとんどの県は人口1割減が当たり前のようです。一刻も早く東日本大震災からの復興のスタートラインに立てることそして完全な復興を目指すこととともに2025年問題に対応する体制を作っていかねばならないのではとつくづく考えます。
こんな状況の東北を、あの大震災からの復興を目指すべきトップの大臣が「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった」なんて発言するのは、東北人だけじゃなくても断じて許せないのは当たり前ですね。
2025年問題は、少子化の問題も関わっています。昨年の新語・流行語大賞に選ばれた「保育園落ちた日本死ね」のつぶやき、果たしてその後状況は改善されたのでしょうか。まだまだ抽選に漏れて保育園に入れない話を聞くような気がします。
我々が憲法記念日に考えるべきは、我が国は「法治国家」であるということです。そして、この国の最高法規のあり方をしっかりみんなで考えなければならないと思います。責任があると述べた者はきちんと責任をとらなければいけませんし、口先だけの謝罪で雲隠れなんていうことでは許されません。
しっかりと法律に基づく責任をとっていただかないと、これからの将来を担う子供たちが、こんなんでいいんだと思っちゃいますね。これから先ずうっと「放置国家」になってしまったら、困難な将来のいろいろな問題を抱えるこの国がどんどん漂流してしまうような気がします。
以上