昨年末からお正月も過ぎた今、新たな事業計画
64歳になる母の突然の訃報を受け慌てて帰省、お盆に帰った時はあれほど元気だったのに・・・
まさかこのような事が自分の身に降りかかるとは、ゆめゆめ思ってもいなかった。テレビニュースかドラマか、そんな風にしか考えられなかった・・・。
ご依頼者様となられる35歳を過ぎた息子さん。当社ホームページをスマホで調べ遺品整理のお問い合わせを頂きました。聞けば死亡原因は脳溢血、病死です。血圧の高い方だったようです。
室内をご案内頂きながらお話を聞いたところ、一戸建て貸家にお住まいして24年になるとのこと、ご依頼者様が高校卒業後上京されてから、ずっと母親の一人暮らしだったそうです。
玄関、各部屋とも小綺麗に整頓されていたようですが、ご依頼者様が慌てて帰省後にあちこち探し物などされたらしく、多少物を動かした形跡も見受けられました。お台所も整理されて、少しの洗い物がシンクの中に浸けてあり、炊飯ジャーもそのまま残されておりました。浴室、トイレに小花が小瓶に一輪活けてあります。
全体的に小綺麗に整頓されたお宅で、運び出す物量も限られた物になりそうです。
一階は二部屋に台所、トイレと浴室、それに押し入れと納戸。二階は一部屋に押し入れが二つ。
外には物置があり、十数年前にご依頼者様が高校時代に使用していたという自転車なども残されておりました。建物周囲にはブロックやレンガ、植木鉢や小物、洗濯物干し台に竿など。テレビ、洗濯機などはご依頼者様が引き取り利用するため、引っ越し業者さんが運び出す段取りとなります。
室内を見渡してみると、茶箪笥の上に骨箱が置いてありました。昨日火葬を終えたばかりで、もちろん納める仏壇も無く一時的に置いてあるものと思われますが、作業するにあたり合掌させて頂きました。
先様のご要望を伺い早々に見積り作成、出来る事であれば明明後日にも東京へ帰りたい。こちらでの役所回りや、賃貸契約、ライフライン等の抹消手続き、納骨に備え、東京でお寺さん等との打ち合せもあるそうで、取り急ぎ作業段取りと金額見積書を作成、その日の夕刻には見積り提出させて頂きました。翌朝には早々の決済と契約書締結を頂き、お昼前から着手、物量も少ないこともあり、作業員4人で全ての作業を一日で終了致しました。
今回の現場は仲介不動産業者さんも立ち会いとなり、賃貸条件に事故(孤独死など)がある場合の保険が掛けてあったと言うことで、遺品整理作業費の殆どがこちらから補てんされるそうです。
ご依頼者様と不動産業者さんから現場の立ち会いをして頂き何のご指摘も無く、無事に現場のお引き渡しが出来ました。
終始、整理作業を見ていたご依頼主様より、
「いや~ビックリです。流れ作業を見ているようで、プロってやることが違いますね!」
「すごい助かります。ありがとうございます」
たくさんのお褒めの言葉を頂戴しましたが・・・
ふと、「ご依頼者様は私共の作業を見ながらどのような事を考えているのだろうか?」
そんなふうに感じる場面も少なからずありました。私共の問いかけにもしっかりと受け答えはしてはくれますが、作業を見ながらも少し物哀しそうにも見えてきます。
聞けば高校まで母子二人で過ごした実家となり、家具や家電品、それぞれに色々と想いが詰まったものと思います。感謝の言葉こそたくさん頂きましたが、この様なケースで考えることはいつも同じで、ご依頼頂いた仕事とはいえ、また一つ家族の大事な想い出、生活した証までもきれいに清算しているようで・・・。
この先ご依頼者の戻る故郷、実家が無くなると思うと、また違った意味で色々と考えさせられます。
遺品整理士・・・とても辛い仕事でもあります。
海洋散骨 19年前の母の遺言 生まれ育った故郷の海に 娘と孫
春先より東京在住の方から海洋散骨についてのお問い合わせを頂いておりました。
「亡き母の散骨をお願いできないでしょうか?」
詳細を伺いますと生前からお母様の遺言で、お骨の一部は故郷の海に散骨をお願いされていたところ、偶然当社ホームページを見つけてのご相談だったようです。
すでにご両親の納骨も終えているようでしたが、ご遺骨の一部を長年ご自宅で供養され保管されているとの事、詳細打ち合わせ後に早々の契約書の送付をご請求頂き今回の海洋散骨の運びとなりました。ご契約者様は仕事の都合で元々乗船はしない事に、乗船予定者は、他県にお住まいの妹さんご家族による海洋散骨と決定。当初はお盆頃の予定でしたが先様のお仕事の関係や海洋状況と合わず、変更に変更を重ねながら3度目の予定でようやく決行する事となりました。
当日は風も波も穏やかで絶好の海洋散骨日和、亡きお母様は地元遊佐町ご出身の方、そのようなお話しをお伺しまして散骨ポイントとなる遊佐町沖合に向け出港となりました。
この日は長い間悪天候により欠航を余儀なくされていたマリーナの仲間が大勢で大海原へ出向いており、いつもの海域も僚船で埋め尽くされておりました。しかし今日は遊佐沖、途中雲にも覆われておりますが鳥海山の山肌もクッキリと見えます。
「あの山、鳥海山の麓がお母さんの生まれ故郷になります」
「あの山が海に繋がる辺りまでが遊佐町です」
「途中で鳥海山をバックに写真を撮りましょう」
指差す方向を親子で見ながら、母子ともにこやかに笑い小学生の女の子も元気にポーズを取って写真におさまっておりました。
しばらく船を走らせ散骨ポイント到着。静かな海域で海洋散骨セレモニーが始まります。
アフトデックにつくられた祭壇に娘さんの手によりお父さんとお母さんの遺影が飾られます。お二人とも本当に和やかなお顔をしております。
遺影を見ながら、「綺麗なお母様だったんですね」
(つい思っていたことが、言葉が出てしまうほどの庄内美人でした)
3点鐘の鐘の音が響き渡る中 黙祷!
親子で代わる代わる献花、献水、そして散骨。
緩やかな潮の流れに乗り白く海面が揺れ流れていきます。その上に献花、海面一杯に親子の手から花びら、折り鶴が散り流れていきます。全てを終える頃、海面に広がる花びらの周囲を静かに3周ほど旋回し、最後のお別れとなります。合掌。
鐘の音が再び鳴り響く中、無言で海面を見つめる娘さんの姿が大変印象的でした。
ふと、後ろデッキを見ますと小学生のお孫さんも目を閉じ合掌しておりました。
今回、お客様都合もございましたが、ご依頼者様には大変長い間お待たせしてしまいました。
しかしながら、この様な恵まれた天候の中で亡きお母様の海洋散骨を執り行うことができ、私達スタッフも「本当に待ってもらって良かった~」の思いでいっぱいでした。長い間お待たせしてしまったことに恐縮しておりましたが、娘さんからはたくさんの感謝の言葉を頂き、私達も胸をなで下ろし、大きな安堵感を得る事が出来ました。
今回参加できませんでした東京のお姉様にも宜しくとお伝えを願い、回忌法要、記念日などのメモリアルクルージングの際にはお姉様も参加くださいますよう、スタッフ一同来県をお待ち致しております。
本当に長い間お待たせを致しました。
ありがとうございました。
今回の海洋葬の写真は・・・こちら
庄内沖での海洋散骨をご検討されている方は・・・こちら