力を引き出す組織マネジメント|最高の戦略教科書『孫子』を読む⑥ー2
人生最良の無形財産・信用を得られる生き方を!
さて、突然ですが、生きていくうえで最も重要なものはなんでしょうか?お金?財産?地位?名誉?
答えはズバリ、「信用」です。個人として重要ならば、リーダーならばなお大切―というより、必須と言えましょう。拙著『孫子』「将の利」の解説においても、事例をいくつか紹介しまして、紙幅は多めに割いています。帝王学の教科書『貞観政要』の解説書・拙著『人格修養のすすめ』でも、「信用」に言及する古語や高橋是清の言葉など多く取り上げているので、ここでは他の人物の言葉や実際の事例などに触れておきたいと思います。
実業家・大倉喜八郎の言葉
ホテルオークラや大成建設、東京経済大学など、多くの事業に関わった実業家・大倉喜八郎は「信用」について、次のように述べています。
凡そ何事をなすにも、最も大切なのは信用である。信用の無い人間は首の無い人間の様なもので、人間として少しの値うちもありません。(東洋経済大学資料委員会・編『大倉喜八郎かく語りき』)79頁
信用無き人間は少しの値うちもない―手厳しいと思うか、至極当然のことと思うか、反応は分かれそうですが、大倉は断言して憚りません。続けて信用とは、急にできるものではなく、日常から少しずつ実践していき、できるものであると述べます。大切なのは、次の三点です。
- 自分の仕事に責任を重んじること。
- 口にしたことは必ず実行すること。
- 約束は必ず守ること。
築き上げるためには膨大な努力と時間を要するにも拘わらず、失うのは一瞬―それが信用です。上辺だけ繕う者は、気を抜いた時や油断した時などに馬脚を露します。何気ない仕草や、思わず口をついて出る汚い言葉など、兎角普段から心掛けていなければ、真の信用は得られません。正直であることは、信頼されるうえで欠くべからざる態度になります。
「正直者が馬鹿を見る」と言うではないか―そんな声が聞こえてきそうですが、これは謬見です。正直ではないとは、則ちごまかしたり、嘘をついたりすること。失敗や過ちをしてしまった際にひとたび嘘をつくと、実態に整合しない状況に陥ってきます。そのために嘘を塗り重ねる必要に迫られて、知らぬ間に損害は取り返しのつかないものになっていく―仏教では悪因悪果、自因自果と教えられます。結局、正直者のほうが、被害が最も軽微で済み、かえって信用につながっていくのです。では、その証左となる実際の歴史を見ていきましょう。
パネー号事件
まず、ごまかすことなく正直に対処した事例を見ましょう。パネー号事件とは、昭和12年に起きた、旧帝国海軍の艦上爆撃機隊が、アメリカの砲艦パネー号を誤って撃沈した事件です。当時軍務局長だった井上成美は、アメリカを刺激しないよう苦心していたが、そんな時に発生した事件でした。井上は次官の山本五十六と共に、
- ただちに
- 正直に
日本側の非を認め、事態打開に奔走します。その結果、対日世論が硬化する事態を免れたのです。もたもたしたり、言い訳を並べたりしていたならば、この事件は全く異なる結末を迎えたことでしょう。
次は、「正直でない者が馬鹿を見た」事例です。
ドッガーバンク事件(北海事件)
日露戦争の折、司令長官ロジェストヴェンスキー中将(以下、ロ中将と表記)率いる第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)が、北海のドッガーバンク付近にて、操業していたイギリス漁船団を日本軍と誤認して砲撃。数人の死傷者と、漁船一隻を撃沈、四隻が大破するという被害を出しました。これがドッガーバンク事件です。漁船会社がイギリス政府に被害を訴え、新聞も大々的に取り上げたため、たちまちイギリス世論は硬化。急ぎ極東へ向かわねばならないところを、第二太平洋艦隊はビーゴ港に滞留を余儀なくされることになってしまいました。
国際問題にまで発展したこの一件では、ロ中将は
- 砲撃したのは漁船ではなく日本の水雷艇。
- 現場に朝まで残っていたとされるロシア駆逐艦は、実は日本の水雷艇。
- 漁船は航海規則に違反し燈火をつけていなかった。
- 現場に現れた日本の水雷艇は、イギリスが建造したもの。
一貫して「悪いのは日本とイギリス」と言い張り、最後まで非を認めることはありませんでした。そんな主張が通用するはずもなく、最終的に国際査問会はイギリスの主張を全面的に認め、ロシア側は全面敗訴。
- 莫大な賠償金を払わされる。
- 国際的な孤立。
- 滞留に伴う進軍遅延。
- ビーゴ港を出発後に受けた、イギリス巡洋艦隊による嫌がらせ。
正直に認めなかった代償は大きいものになってしまいました。
パネー号事件と対を為す、貴重な教訓となる事件です。
今度は、信用確保のために手間暇を厭わなかった、日比翁助の努力を見ておきましょう。「そこまでするのは尋常ではないな」と思う方もいるかもしれないが、ここまでできるならば、間違いなく全幅の信頼を得ることができることでしょう。善因善果、自因自果。信頼もまた、己の種まきに応じたものになることをよく理解すべきです。
三越創始者・日比翁助
渡邊省亭書幅の真贋判定
渡邊省亭※1の書幅を購入した客が、後日贋作だと抗議してきたことがありました。「偽物を置くはずがない」「本物に違いない」等の釈明を一切することなく、日比はただちに問題の作品を1度回収し、作者本人の所まで持参させ、間違いなく自身の作である、と一筆もらった後、抗議してきた客の元へ届けました。この対応にかえって客の方が驚き、手間暇・費用をかけさせたことを謝罪した逸話が伝えられます。
竹内栖鳳の所在捜索
竹内栖鳳※2の絵画を注文した客がいましたが、期日通りに届かなかったため抗議の手紙が送られてきたことがありました。驚いた日比は、その所在を突き止めるべくただちに人を遣って四方八方捜索させました。ようやく発見し、期日を守らないのは店の信用に関わるから、と頼み込み、制作してもらって届けた逸話が伝えられます。
金時計の真贋証明
三越の貴金属を扱う売り場にて、陳列されている金時計を「これは金メッキだ」と疑う客がいました。偽物を販売するようなことはしない、と購入してもないその客の前で、金時計を真っ二つに切断し、疑いを完全に除いた逸話が伝えられます。
手違いを手違いどおりに
新米の店員が、仕入れる真珠の値段を間違えたことがありました。「真珠10個を20円」で仕入れるはずが、「真珠1個を20円」で買い取る意味に解釈できる返事を出してしまったのです。喜んで待つ荷主に送金されたのは、「真珠1個分」の20円。当然、約束が違うと抗議をしてきました。経緯を説明し、間違いではないことを話そうとする仕入れ主任に対し、日比は
一旦返事をした以上はその返事は千金にも代え難い。(星野小次郎・著『三越創始者 日比翁助』)150頁
と話し、本来手違いのはずの「真珠1個20円」で送金するように指示したのでした。
このような場合は、仕入れ主任のように、事情を説明して金額に間違いないことを伝え、謝罪するのが一般的な対応となるでしょう。日比にとって「大損」とは、「180円」という目先の小利ではなく、「信用」という長い目で見る大利を失うこと。伊藤博文や山県有朋、松方正義、池田成彬といった著名な政財界人から多大な支援を受けることができたのは、普通はしないようなことを普通にしていた、日比への絶大な信用があったからに他なりません。
信用は、毎日の積み重ね
いかがでょうか。「信用」ほど、人生において重要な財産はありません。これは大倉喜八郎が述べるとおり、たちどころに出来上がるものではなく、毎日の小さなことの積み重ねによってできるものです。日比翁助は、「将の利」を備えていた理想的なリーダーと言えるわけですね。
「将の利」については、ここまでになります。最重要事項のため、回数を分けて解説しました。これでもまだまだ足りるものではないので、興味をお持ちの方はお気軽にお問い合わせください。次回からは、「法の利」に移りたいと思います。
今回はここまでといたします。






