『孫子』を「最強の兵法」足らしめる、最重要事項|最高の戦略教科書『孫子』を読む⑨
人を大事にする、歴史的な事例集
先回は事例集に入る前に一度終わりました。今回はその続き、事例集を見ていきましょう。
第二次長州征伐(小倉口の戦闘)
第一次長州征伐以降、長州に不穏の動きありとして、幕府は総勢15万の大軍を動員しました。第二次長州征伐ですね。現在の島根県・広島県・福岡県・山口県大島郡の4つの境から進軍したことから、「四境戦争」とも呼ばれます。高杉晋作が率いた奇兵隊は、福岡県側を担当。わずか1000人で、50倍にも及ぶ5万人の幕府軍を迎え撃つことになったのです。常識的に考えれば、勝率はゼロと言って差し支えないでしょう。引用部分に関わるのは「田野浦の戦い」になるので、全容はご自身で読んでいただきたいと思います。
この戦いで長州勢は詭道を駆使して、幕府軍を翻弄します。その隙に乗じて田野浦へ上陸し、幕府軍に圧勝。長州への上陸を阻止し、緒戦を制したのです。「智慧有りと雖も、勢に乗ずるに如かず」と古語にあるように、勢いに勝るものはありません。幕府軍が本陣を置く、小倉へそのまま進もうとする部下に対し、高杉は下関まで後退させます。以下は、その際に行われたことである。
酒がふるまわれ、鳴り物入りの騒ぎとなる。兵士を大事に扱う高杉に、部下たちは全幅の信頼を寄せた。(NHK取材班・編『その時歴史が動いた』)22巻224頁
は「心」は「体」と「口」の司令塔―本当に心から大事に思っていれば、言動は自ずと付随します。「恭敬なる者は、幣の未だ將はざる者なり」と、心掛けが物質的な待遇よりも先に来ると孟子が説くのは、まさしくこのためです。小倉口での戦闘は、最終的に奇兵隊が50倍の幕府軍に勝利して幕を閉じ、明治維新へつながっていきます。心から人を大事にすれば、必ず君臣一体となります。その突破力は、不可能を可能にするものです。
ホテルニューオータニ建設

東京都紀尾井町にある、ホテルニューオータニ。敷地内に美しい池泉回遊式日本庭園もあり、宿泊客や観光客を楽しませてくれます。小生も何度か観光に来たことがあります。
このホテルの建設が始まったのは昭和38年のことで、東京オリンピックを見据えてのものでした。ところが、建設予定のホテルの規模は、当時の環境では最低でも3年は必要となるにも拘わらず、工期は1年と5カ月しかありませんでした。そのうえ、オリンピック後の経営は厳しくなると分かりきっているなど、悪い条件ばかりだったため、引き受ける実業家がいなかったのです。
この難事業を請け負ったのが、大谷重工業の社長・大谷米太郎です。この物語を取り上げたのが、「プロジェクトX」の「東洋一の巨大ホテル 不夜城作戦に挑む」になります。詳細は当該回を参照していただくとして、本項に関わる部分をみていきたいと思います。
この事業の施工責任者に任命されたのが、大成建設の竹波正洪です。あまりにも短すぎる工期に間に合わせるため、現場の環境は
- 世界初のユニットバス実用化。
- 熟練溶接工探し。
- ホテル最上階への回転ラウンジ追加注文。
- 現場の二十四時間体制化。
など、凡そゆとりという概念がないような、肉体的・精神的にも非常に苛酷なものでした。逃げ出す作業員が出てもおかしくない環境下にあって、士気を維持し、現場を良好な状態に保つことができたのは、責任者の竹波の姿勢に由ります。
最大の気遣いは、料理だった。与えられた予算をやりくりし、トン汁やビーフステーキなど、ときには豪華な料理を振る舞った。(中略)しかも休憩處では牛乳が飲み放題。(前掲『プロジェクトX』)28巻262頁
この他、作業員の昼寝部屋を用意したり、医師・看護師を常駐させたりするなど、人を心から大事にしていたことがよく分かります。表面上だけ大事にしているように見せかけているだけならば、ここまでの行動になることはないからです。不可能と思われた、工期内のホテル完成。突破を可能にしたのは、一丸となった組織力です。(前掲『プロジェクトX』)28巻221頁~275頁
日比翁助
日比翁助は、我が国における近代デパートメントストアの元祖・三越の創業者として知られます。慶應義塾に学び、同窓生には池田成彬や和田豊治といった財界人たちがいます。
「経験」ではなく、「人格」を買われて三井銀行和歌山支店の支配人として腕を振るい、本店すら成し得なかった改革を完遂します。その後は三井銀行本店の副支配人として迎えられますが、間もなく三井呉服店の支配人として声がかかります。そこで三井と袂を分かち、新規に立ち上げたのが株式会社三越呉服店です。拙著『人格修養のすすめ』では、事業の根本は人にある、という「人を大事にした」日比の考えを紹介していますが、ここでは少し踏み込んで解説したいと思います。
繰り返しになるが、まず心が大切です。日比の場合、「人こそ大事」という「心」が先にあったからこそ、
精神的にも物質的にも能う限りの厚遇をし、その福祉を増進してやることが肝要だ。(前掲『三越創始者 日比翁助』)119頁
このような「考え」をもつようになり、
成るべく店員に株を持たせて株主となし、毎期の決算には純益金の三割をまづ店員の賞與に割當る(前掲『三越創始者 日比翁助』)119頁

このような「実際の行動」として現れるのです。使い道は多岐にわたる、純利益の三割を「まず」従業員の賞与に充てる―使う予定のない余剰分を「後から」割り当てたのでありません。従業員を腹から大切に思うからこそ、「一番に賞与として出す」という行動となるのです。さらに、算出方法も併せて見直しを行いました。三井時代は、「出勤日数に一定の率をかける」ことで賞与を算出していました。つまり出勤さえしていれば、怠けていても満額もらえる一方で、頑張っても、やる気のない者と同じ額しか支給されなかったわけです。これを見直し、「本人の頑張りに応じて」算出するように改訂。努力にふさわしい賞与が与えられることになったのです。ここまでされて、人が奮起しないはずがありません。
精神的な厚遇は割愛しますが、どこまでも人を大事にした三越は、創業した明治37年の資本金は50万円だったのに対し、昭和26年には15億円になっています。47年で3000倍。心から人を大事にする―それは、かかる偉業を成し得るだけの力を発揮するのです。
リーダーシップに求められる要素、「君たるの道」
拙著『人格修養のすすめ』では触れることができなかったところを、同じく拙著『孫子』の当該項目にてお話しました。最もリーダーに求められるのは、「人を大事に思う心」です。お話足りないところではありますが、本項目についてはここまでにして、次に進みたいと思います。
今回はここまでといたします。



