『孫子』が無敗の方程式と言える理由|最高の戦略教科書『孫子』の兵法を読む⑤ー2
天の利|「陰陽・寒暑・時制」羽翼已成の時
時勢・時期を指すのが「天」の利になります。これには「一般的なもの」と「孫子が説くもの」とのニ通りありますが、まずは前者を取り上げます。
一般的な天の利
一般的なものは、特定の条件がない、何事にも存在する時期です。これを見誤ると、例えば必成の事業であっても、人を集めてもいないうちから動き出すようなことをしては、成功するものも成功しません。また、八方手を尽くして如何ともし難い時は、時が解決してくれるものです。この「時」は、必ず一生のうちにあることを教える、三菱創業者・岩崎彌太郎の言葉を見ておきましょう。
機會といふものは、人間一生のうちには、誰でも一度や二度は必ず來るものである。(高橋是清・遺著『随想録』)124頁
ここで言うところの「機会」とは、「時」のことに他なりません。彌太郎はこれについて、
- 捉え損ねると一生立身出世はできない。
- いつ、どのように到来するかは分からない。
- そうそう来るものではなく、自分で作ることもできない。
- いつ何時「その時」が来ても、すぐ捉えられるよう準備することが肝要。
と説いています。誰にでも必ず一度は訪れる機会をつかむために、最も重要なのは「準備しておく」こと。平生からの備えが大事です。この故に、世に「果報は寝て待て」と言いますが、寝て待つ者に「天」を捉えることはできません。「練って待つ」者だけが手にすることができるのです。彌太郎の言葉には、古語にも根拠があります。見ておきましょう。
時は得難くして失ひ易し。(吉田賢抗・著『世家』)上巻53頁
ちなみに、『随想録』には、更に踏み込んだ高橋是清の言葉が記されています。彌太郎の言葉を伝え聞いた高橋は、この「準備」とは何をするかについて
まづ學問を修めておくことである。(前掲『随想録』)124頁
と述べています。この「学問」とは、今日で言うところの受験勉強ではありません。「身を修める」学問、則ち古典の教えを学び、実践をとおして身につけていくものです。これを「実学」と言います。「学問」だけあったところで社会では役に立たない、という者は今も昔も変わらないようで、そんな者に対して、高橋は一理あるとしながらも、
だが、大體において、ある程度の學問の基礎がないと、物事に對する判断を誤ることが屡々ある。(前掲『随想録』)124頁
と述べ、反省を促しています。
学問教養の必要性を強調する、浜口雄幸の言葉
大蔵大臣や内務大臣、内閣総理大臣などを歴任した浜口雄幸は、「教養」の表現を用いて高橋と同じことを述べています。見ておきましょう。
敎養は人格の養成、品性の陶冶、高尚なる趣味の涵養の爲、何人にとつても、勿論必要である(中略)凡そ一切の敎養は、此の誤らざる判斷力の基礎を造るが爲に極めて必要である。(濱口富士子・編『随感録』)98頁
浜口はここで、「実学」によって成される「人格の養成・品性の陶冶」は何人にとっても必要であると言い、それは誤ることなき判断力の基礎を築くために必要となることを明らかにしています。先覚者たちがハッキリと説く「学問」とは、かかる性質のものであることを間違えないようにしたいところです。
一度は必ずやってくる、この「一般的な天の利」を確実につかむためにも、日頃からの備え・修身を怠ってはなりません。そのための「学問」であり、これがそのまま後述の「將」の利にもつながっていくのです。
孫子が説くもの
「天」の見出しにある「羽翼已成」とは、「うよくいせい」と読みます。羽翼が生え揃い、いつでも飛び立つ用意ができた状態を指す四字熟語で、漢の高祖・劉邦の言葉に由来します。
孫子が教えるところの「天」とは、残る四つの利を備え、「五事」が揃い、勝利・成功間違いなしになった状態を言います。解説の順番が前後してしまいますが、次のように理解するとよいでしょう。
- 指導者が身を修める(將)ことで自然と君臣一体(道)となる。
- 「將」だけでは欠ける、賞罰やその他必要となる規則(法)を補う。
- 戦時と平時で調査すべき項目は異なるが、地理的要素(地)を把握する。詳しくは次項にて解説する。
- ①~③が揃い(天)、いつでも行動可能な状態。
これが、孫子が説くところの「天」の利です。「五事」を知る者が勝つと孫子が結論付ける理由を、これでお分かりいただけることかと思います。続いて残る三つの利を見ていきたいところですが…長くなりましたので次回にしまして、今回はここまでといたします。



