組織がフルスロットルとなった状態|最高の戦略教科書『孫子』を読む⑦
中国の兵書を代表する七冊
拙著『孫子』の冒頭において、「武経七書」(ぶけいしちしょ)と呼ばれる七冊の兵書を簡単に取り上げ、『孫子』との優劣を論じています。その兵書とは、
- 『孫子』
- 『呉子』(ごし)
- 『司馬法』(しばほう)
- 『尉繚子』(うつりょうし)
- 『李衛公問対』(りえいこうもんたい)
- 『六韜』(りくとう)
- 『三略』(さんりゃく)
以上のものです。原稿だけ存在して出版していないのはなかなか不便でありますが、簡単な説明をさらに簡略化して触れておきたいと思います。
呉子
著者は兵法家の呉起による自著と言われている他、他撰・偽作と諸説あり、定かではありません。この書籍の最大の問題は、「迷信を排除していない点」です。残り六つの兵書には、この迷信の類は見られません。加えて、呉起自身の事績を鑑みるに、迷信を是とするような言動は見られないため、不自然さが残る兵書となってしまっています。このような観点から、小生は呉起による自著の可能性は低いと考えています。兵法書においては迷信だけでも問題ですが、他の内容についても、『孫子』の範疇を出るものはありません。
司馬法
これは古の兵法家・司馬穣苴(しばじょうしょ)の兵法を本にして、春秋戦国時代に、斉の臣下たちが追輯した兵書です。面白くはありますが、『孫子』を超えてくるような内容はありません。司馬穣苴の事績が記載されている歴史書を読んだほうが学びとなりましょう。
尉繚子
この兵書もまた、著者は不明です。『孫子』に匹敵すると評価が高いものですが、果たしてそうでしょうか?
確かに、小生が作成したそれぞれの兵書の抄録の中では多いですが、この書の問題点は法による組織運営に比重を置き過ぎている点にあります。読んでいると、「法家思想の持主が書いたのかな?」そう思うほどには、やたらと法整備が力説されています。『孫子』も「五事」の一つに「法」を挙げており、大切なものに違いはないのですが、比率が適当とは言えません。『孫子』に匹敵するという評価は、過分なものと言えるでしょう。
李衛公問対
これは『貞観政要』の主役、唐の太宗・李世民と、名将・李靖との問答形式で構成される兵書になります。ところが、『貞観政要』や『帝範』の他、唐代を記した歴史書には同じやり取りが存在しないため、二人に仮託した後世の偽作であるのは明らかです。
幅広い典籍から引用してあり興味深いですが、著者は『孫子』十三篇のうち「用間篇」が最も下策であると指摘しているところが問題点になります。漢学の大家・諸橋轍次先生は、『孫子』のこの部分について、次のように指摘します。
彼の著に表れてゐる用閒篇第十三は、殆ど彼の思想の極意と稱せらるべきもの(諸橋轍次・著『諸橋轍次著作集』)第三巻21頁
最も下策どころか、『孫子』の中核となる三本の柱の一つです。著者の『孫子』理解の程度は、お世辞にも高くないことが窺えます。実用性を論じる際に、『孫子』に及ばないことは明らかでありましょう。
六韜・三略
『六韜』もまた後世の偽作とされるものです。この兵書において、例えば武王の口を借りて問われていること―例えば虎韜では
- 包囲されて進退窮まり、兵站線まで断たれた時、どうすべきか。
- 敵領内に深く侵攻したが完全包囲され多勢に無勢。守備も堅い。如何に切り抜けるべきか。
- こちらの意図が尽く見破られ、精鋭で以て攻められた時、どうすべきか。
といった事柄について言及されていますが、これらはいずれも、既に手遅れの状態です。かかる状況に陥らないために、孫子は「彼を知り、己を知れ」と説いているのであります。正直なところ、兵法事例の例えのセンスに欠けていると言わざるを得ないものです。
『三略』についてですが、この書の価値は、今は逸失して伝わっていない『軍讖』や『軍勢』といった典籍を引いている点にあります。これらを引いて政治的・軍事的に論じていますが、政治的に論じるならば『貞観政要』を学んだほうが圧倒的に役に立ちますし、軍事を論じるなら『孫子』で十分事足り過ぎます。
七書の中でも別格の兵法
ごく簡単ではありますが、拙著の内容に沿って六冊の兵書を紹介しました。この記事を読んだ方の中には、「『孫子』を持ち上げ過ぎで、過剰な評価だ」と思う方もいらっしゃることでしょう。そんな方は、七書を通読してください。決して過剰なものではないことが、お分かりいただけることでしょう。また、存在を否定するものでもありません。色々手を出すよりは、『孫子』一冊を学んでほしいというのが正直なところです。
肝心の『孫子』については次回に譲りまして、今回はここまでといたします。



