古典に基づくリーダーシップと組織マネジメント|帝王学の教科書『貞観政要』を読む②
組織を長久に保つ極意―居安思危
帝王学の教科書『貞観政要』君道篇の締めくくりとなる章です。貞観十五年、太宗が守り維持していくことの難易を下問したことについて記されています。物事を始める創業と、創業したものを守り維持していく守成について、先回取り上げお話しました。今回はそれについて、掘り下げたものになっています。守成が困難であると述べる魏徴の言葉をとおして、その極意を見ていきましょう。
太宗の疑問|守成とはそんなに難しいものなのか?
創業と守成に関する魏徴の意見は終始一貫しており、創業より守り維持していく守成が困難であるとまったくブレることがありません。そんな魏徴の考えに対し、太宗が疑問に思うことは、「優秀な人材や賢者を登用し、その意見や諫めに耳を傾ければ良い話であり、そんなに困難ではなかろう―」というものです。この太宗の考えは至極当然のものであり、小生も全面的に同意するものであります。ただし、「言うは易く行うは難し」の典型で、「実践できれば」の話ではありますが。
創業と守成に対する、魏徴の一貫する見解
太宗の疑問に対して、魏徴は歴史という「古の鏡」を根拠にして論を展開していきます。
各地に跋扈する群雄たちを討ち平らげる必要がある創業の時には、誰に教わらずとも賢者や人材を登用し、誰に教わらずとも諫言を受けるし、自分の意図に反するような意見にも耳を傾けます。己のわがままを押し通している場合ではないからです。そんなことをしていては、民の支持を得られず、他の群雄や賊徒に負けてしまいますからね。魏徴が、創業は困難ではないと断言するのはまさにこのためです。
守成はどうでしょう。地位や権力基盤が固まり、国家にせよ事業にせよ安定してくると―必ず驕り高ぶる心が出てきます。ひとたび安定した地位や収入という、安楽椅子にドップリ腰掛けると、もはや怠け楽をしたいという欲は抑えられません。創業時との落差が大きければ大きいほど、近しい人たちは落胆し、創業時のように意見を述べたり諫言したりすることはなくなります。この状態になったら手遅れで、組織を長久に保つことは不可能です。魏徴が、守成こそ困難であると断言するのはまさにこのためです。
漢の高祖・劉邦の事例
始皇帝に始まる秦の末期、群雄の1人として立ち上がり、項羽との戦いを制して漢帝国を築いた高祖・劉邦。史書にこんな話が載っています。
劉邦は晩年、寵姫・戚夫人の子の如意を、可愛さのために皇太子に代えようとしていました。皇后・呂后が黙っているはずがありません。手を尽くして阻止しようとしましたが、止められそうにありません。今も昔も、私情で後継者を代えるのは禍の元です。
江戸時代、二代将軍・徳川秀忠の後継者を巡って争いが起きた時、隠居の身だった徳川家康は事の重大さを認識。駿府から江戸まで足を運び、自ら決着をつけた逸話が伝わっています。それほどの問題でもあったわけですね。万策尽きた呂后は、劉邦三傑の1人・張良を頼らざるを得ませんでした。劉邦の知恵袋・参謀として、その名を知る方も多いでしょう。既に隠居の身だった張良は、創業の折は進言に耳を傾けてくれたが、現在は口で言っても聞き入れられないと述べ、断ります。魏徴の言葉は、まさしく「古の鏡」を踏まえた見解であったことが分かりますね。
豊臣秀吉の事例
織田信長の元で出世街道を駆け上がり、その後を継いで天下人となり、創業を成し遂げた成功者―豊臣秀吉の名を知らぬ者はいないでしょう。では、守成はどうだったでしょうか。
- 名刀や茶器、黄金の茶室などに代表される、豪華絢爛なお宝を集めて贅沢を極める。
- 黒田官兵衛を天下統一の最終局面でこき使っておきながら、一切恩賞を与えない
創業の折は確かに人を大事にしていたはずですが、安楽に至ってすっかり驕り高ぶっていた姿が記されます。統一した天下は徳川家康の元に帰し、実質わずか一代で滅んでしまった豊臣秀吉。魏徴が力説する、守成の困難さがありありと知らされます。
これぞ守成の肝要―安きに居りて危きを思ふ
先回、守成が困難なのはわかったけど、じゃあどう維持していけばいいの?という出て来るであろう疑問を出したまま終わりました。それに対する、魏徴の答えを聞いてみましょう。それこそが、「聖人の安きに居りて危きを思ふ」です。安定している時こそ、非常時のことを思い、備えておく―このような心構えが、「居安思危」という漢字四字になります。
- 軌道に乗った頃合い
- 危機を脱した頃合い
- 組織運営が安定している時
- 特に不満や懸念の声が聞こえてこない時
何も起こらないだろう・起こる筈がない―その慢心が、破綻を招きます。安心して備えを怠ってきたからこそ、危急存亡の秋に手を打つことができず、崩壊していくのです。
安定している時こそ一層慎み、薄氷を履むが如く備えを怠らない。守成を成し遂げた先人たちが実践してきた、その要諦であり肝心要の心掛けです。「居安思危」の四文字をしっかり服膺し、有終の美を飾るべく邁進していきたいと思います。
今回はここまでといたします。
今回の原文
安樂に至るに及びては、必ず寛怠を懐く。安樂を恃みて寛怠を欲すれば、事を言ふ者、惟だ兢懼せしむ。(中略)聖人の安きに居りて危きを思ふ所以は、正に此れが爲なり。(原田種成・著『貞観政要』53頁)



