組織を長久に保つ心得「居安思危」について掘り下げよう|帝王学の教科書『貞観政要』を読む⑤ー3
3つの鏡が映し出す帝王学
帝王学の教科書『貞観政要』を読むシリーズでは、順番に読んでいますが、今回は大きく前後しまして、「3つの鏡」を先に取り上げたいと思います。これを知りたい方が多いようです。『貞観政要』のなかでも有名な一節と言えましょう。
この3つの鏡と申しますのは、『貞観政要』任賢篇にあります。太宗・李世民の治世を今日「貞観の治」と言いますが、その治世に最も貢献したと言える側近・魏徴の逝去の知らせを受けた際の、太宗の言葉です。人類史上、太宗と魏徴ほどの、強い君臣間の信頼関係はなかったと言っても過言ではありません。魏徴は太宗にとって、まさに自身を誤らないようにしてくれた、かけがえのない鏡の1つでした。では、順番に見ていきましょう。
銅の鏡

「銅の鏡」と言いますのは、読んで字のごとく、我々が普段から使っている普通の鏡です。どんな時に用いますか?自身の姿を映す時、ですね。太宗は、この鏡を使えば衣冠―服装を正すことができる、と述べています。
さて、「服装の乱れは心の乱れ」と言いますね。拙著『人格修養のすすめ』でも書いていますが、リーダーほど、服装は大事です。それも、地位が高くなればなるほどに。地位に応じてお値段も相応のものにする必要はありますが、それ以上に大事なのは、しっかり着る、ということです。太宗は皇帝でしたので、公の場では「龍袍(りゅうほう)」と呼ばれる、皇帝が着用するフォーマルな服装でした。中国ドラマで知っている方もいることでしょう。龍が刺繍された、豪華絢爛な衣装です。
仮に、これをだらしなく着ていたらどうでしょうか。皇帝ともあろう者が、言わば制服もキッチリ着こなせない―あなたはそんなリーダーを尊敬しますか?信用しますか?小生はしません。銅の鏡は、リーダーシップを発揮するうえでも大切な要素であることを、太宗が明らかにしています。
古の鏡

「古の鏡」と言いますのは、歴史を指します。「古くなった鏡」ではありませんよ?この「古の鏡」を用いることで、「興替」―王朝の興りや滅亡に至った原因を知ることができる、と太宗がは述べています。
『貞観政要』の中でも、魏徴を始めとする重臣たちは、過去の歴史的な事例や典籍を引き合いに出して諫言や進言を行っています。例えば
- 「詩に曰く」
- 「書に曰く」
- 「古語に曰く」
- 「古人言えるあり」
といった言い回しですね。目にする機会が多い「詩に曰く」は『詩経』、「書に曰く」は『書経』、といった具合です。歴史は繰り返します。
- 何故国家が衰退してしまったのか?
- 群雄のうち、何故特定の者が最終的に勝利できたのか?
- 国家を長久に保つことができた理由は?
- 国家がわずか2,3代で滅んでしまった理由は?
このようなことは、まさに書籍を紐解かなければ知ることはできません。徳川家康は「人倫の道」と言いましたが、それは「古の鏡」―言い換えるならば「学問」ですが、これによらなければもう分かることはなく、その道に暗ければ、先人と同じ過ちをすることになります。
これを古語に曰く、「前者の覆るは後車の戒め」と。
また「鉄血宰相」ビスマルク曰く、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と。
学問教養によるが故に、失敗や過ちを未然に防ぎ、また被害を最小限に抑えることができる―これが太宗が明らかにしている、「古の鏡」です。
人の鏡

さて、太宗が努めて大切にしていたのが、「人の鏡」になります。これは「得失」―善悪を明らかにしてくれる臣下・人のことです。善は大いに誉めて勧め、悪は憚ることなく直言して戒め諫める。そんな人を言います。
魏徴は太宗の側近の中で、最も諫言をした人物です。『貞観政要』によれば、その数およそ300。皇帝に対して、これほどに諫言をした臣下は存在しません。歴史を見れば、聞き入れられないか、或いは怒りを買って処刑されるかの二択がほとんどです。魏徴の諫言は、太宗の顔色をまったく気にすることがない手厳しいものばかりで、皇帝としての面子を潰すようなものも多かったのでしょう。太宗はたびたび腹を立て、殺そうと思ったこともあることが、『資治通鑑』などの史料に記されています。
裏を返せば、魏徴の諫言の数だけ太宗も誤っていたということに他なりません。太宗はこの「人の鏡」を堅持することに努め、強靭な忍耐をもって「貞観の治」を現出していったのです。
言ってもらえるリーダーを目指そう
ここで重要なのは、人に諫言してくれるよう求めることではありません。人が「犯顔(※)」の気概をもって、太宗のごとく積極的に諫言してもらえるようなリーダーになることです。そのために、「常に智を磨き徳を修め、日常のことを学問と心得る」ことが大事になります。これが、「身を修める」ということですね。
3つの鏡の締めくくり
この3つの鏡について述べ、太宗は魏徴を失ったことをひどく嘆きます。それほどまでに、魏徴の諫言は別格のものであったことが知らされるわけですが…最後に側近や臣下に向かい、これからもズバリ直言してほしいと述べてこの一節は締めくくられます。リーダーがこの姿勢だったからこそ、魏徴もまた真っ向から応えてくれたのです。
終わりに
以上が、『貞観政要』に説かれる3つの鏡になります。1つ1つは短いものですが、非常に奥深い教えであることがお分かりいただけるのではないでしょうか。知りたい方が多いわけです。まだまだ詳しくお話したいところではありますが、今回はここまでといたしましょう。もっと学びたい・知りたい方は、お気軽にお問い合わせください。
※犯顔…顔(かんばせ)を犯す。君主が不機嫌だったり嫌な顔をしたりしていても、お構いなしに諫めること。
今回の原文
夫れ銅を以て鏡と爲せば、以て衣冠を正す可し。古を以て鏡と爲せば、以て興替を知る可し。人を以て鏡と爲せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。(原田種成・著『貞観政要』119頁)



