「身を修める」とは|帝王学の教科書『貞観政要』を読む③ 番外編
いずれが困難?創業と守成
新たに国家や事業を興す創業と、創業した国家や事業を守り維持していく守成または守文―創業と守成のどちらが難しいのか、太宗が側近に問うた、帝王学の教科書『貞観政要』の有名な一節です。その答えは明快に述べられていますが、皆様はどちらだと思われますか?
創業の困難さ
『貞観政要』では、太宗の問いに対してまず房玄齢(ぼうげんれい)が「創業」が難し、と答えます。その理由を、皆様も考えてみてください。
国家の創業というのは、どのような状況で行われるでしょうか?基本的に、王朝の末期状態で、世は乱れ、賊が跳梁跋扈し、群雄割拠となっている時です。各地にのさばる群雄たちを撃破し、民に安定をもたらさなければなりません。戦いは命懸け。房玄齢はこのように述べて「創業」が困難であると答えたのです。困難であるのは間違いないことがお分かりかと思います。
事業の場合はどうでしょう。場所を確保し、人や資金を集め、軌道に乗せていかねばなりません。集まった人たちと信頼関係も築かねばならず、リーダーシップを高めたり、組織マネジメントについて学んだり、これまた困難であると言えるでしょう。
守成の困難さ
続けて、魏徴(ぎちょう)が「守成」が難し、と答えます。同じように、その理由を皆様も考えてみてください。
国家にせよ事業にせよ、「創業」の時は、リーダー自身が高い志や信念を持ち、人々の支持を得られやすい情勢です。積極的に意見を求め、聞き入れることもします。ところが、ひとたび安定するとどうなるでしょう。たちまち驕り高ぶる心が出てきます。創業時の志や信念は失われ、己の欲を満たすために人を使い倒すようになります。組織の衰退は、常にこのために発生する。だから、守成の方が困難である―魏徴の答えです。この部分は、『貞観政要』冒頭の「君たるの道」につながります。
歴史を見ても、創業を成し遂げたリーダーはいくらでも存在しますね。しかし、守成に目を向けるとどうえしょうか。初志を貫徹しきった人が、一体どれほどいるのか―拙著『人格修養のすすめ』では、守成を貫徹できなかった事例として、前漢の武帝や、輝かしい功績を上げながら晩年にすべてを無に帰した東郷平八郎、そして太宗・李世民自身を取り上げています。古語に曰く、「始めを善くする者は、必ずしも終を善くせず」と。創業を成し遂げた者だからといって、必ずしも有終の美を飾るわけではない―守成の困難さは、古く春秋戦国時代から言われていたことです。創業以上に、如何に守り維持していく守成が困難であるかがお分かりになることでしょう。
太宗は房玄齢・魏徴の意見を聞き、創業の困難は既に乗り切っているから、今後は守成に向かって共に進んでいこう、と答えてこの一節は締めくくられています。皇帝でありながらこの謙虚な姿勢。見習わないという選択肢はありませんね。
守成の要諦・居安思危
守成が困難だと分かったが、じゃあどのように守成を遂げられるようにしていけばいいの?
大丈夫です。『貞観政要』では後のところで、その要諦を教えています。「居安思危」という漢字四字で表されていますが、それはまたその時に見ていきましょう。
今回はここまでといたします。
今回の原文
帝王の起るや、必ず衰亂を承け、彼の昆狡を覆し、百姓、推すを樂しみ、四海、命に歸す。天授け人與ふ、乃ち難しと爲さず。然れども既に得たるの後は、志趣驕逸す。(中略)國の衰弊は、恆に此れに由りて起る。(原田種成・著『貞観政要』35頁)



