鳥取市でも古典の学びを
古典の学びを教育に
「漢学」や「漢文」と聞くと、皆様はどんなことを思い浮かべるでしょうか。
- 難しい…
- 古臭い…
- 役に立たない…
肯定的な意見は決して多くないことでしょう。確かに難しい典籍は多く、極めようと思うならば、漢学の大家・諸橋轍次先生のような方を手本として学ばねばなりません。
しかし、小生は学者や単なる研究者ではありません。「漢文に多く触れる機会を増やす」という方針を大切にしつつも、そこに教えられている知恵を身につけられる学びを提供する者です。
漢学がもたらすもの
漢学は文章を読み解く力を向上させ、語彙力を養います。そこに留まらず、人間力を育む力も併せ持つのがこの学問です。普段は帝王学と繰り返していますが、これを知れば、帝王学とは特別な地位にある者のため「だけ」に存在するものではないことがお分かりでしょう。「帝王学」とは、「漢学」という巨大な概念の1つです。
学びの成果は、意図せずして身についているもの
意味も分からず書いたり音読したり…それに意味があるの?そう思う方もいることでしょう。特に幼少期における教育や学びというものは、必ずしも意味を理解して行うものではありません。それはちょうど、赤子がいつとはなしに、親や周囲と同じ言語を習得するというようなものです。
漢学もまた同様に、小さいころから読み書きした分だけ、人格や考え方・行動に反映されます。できるだけ早い時期から漢文に触れることが大事になるのは、このためです。歴史を見れば、我が国では、寺子屋がその役目を果たしていました。小生が考えている教室も、この寺子屋に近いものがありましょう。
小栗上野介の夢を継ぎたい
最後の幕臣・小栗上野介は私塾を開き、「太政大臣を何人か出す」という夢をもっていました。夢半ばも半ばで処刑されてしまいましたが、小生も同じく、国務大臣や社会的事象の創業者や継承者が育ってくれることを夢見ています。たとえ笑い者になっても、この夢は語らせてもらいます。人を樹えてこそ国家百年の大計なり。子供を対象とした場合の、教室の一貫する目的です。
さて、熱が入ると止まらないものですね。郡家で開催、と銘打っていますが、小生が考えている教室は、特定の拠点を持たず、各地にある各会館(例えば県民ふれあい会館)の一室を借りて行う、「移動型の教室」というものになります。郡家に限らず、八頭郡や鳥取市内でも開催可能です。したがって、近くで開催してほしいといった要望にも、可能な限りお応えできることでしょう。注目を集めるようなことになったら、拠点を構えるかもしれませんが…
全国的にも決して多くない、古典の学びを
内容を鑑みれば、子供に限らず、大人や社会人のリスキリングや学びなおしといったことにも十分お応えできるものです。
チラシには記載しきれていませんが、個別対応や、中国古典の知恵を活かしたお悩み相談も可能です。追加料金が必要になる場合もありますが、相談や幅広い学びを提供いたします。そのあたりは、お気軽にお問い合わせ・ご相談ください。
今回は古典教室のお知らせでした。



