内部通報者保護についての話題
過ちを減少させる、一生モノの中国古典の知恵
また国会議員の失言が問題視されています。しかし、あれは失言の類ではなく、問題発言と言うのが正確ですが。
古語に曰く「駟も舌に及ばず」
2拠点生活の形態を国策として進めていきたい―その趣旨としては理解できます。それならば「運よく地震が起きたから進めよう」などという言葉ではなく、「大きな被害が出てしまった震災ではあるが、これを1つの契機として、2拠点生活を国策として進め、あらゆる災害に備えていきたい」このような表現をするべきだったのです。問題発言と述べましたのは、責任について問われた際に、嘲笑うような顔をしておられたため。単に語彙が貧困である、また日本語力に乏しい、という以上の問題に見えたのですが、有権者の目にはどのように映ったのでしょうか。
「駟も舌に及ばず」という古語があります。お聞きになったことはあるでしょうか?「駟」とは「四頭立ての馬車」。一度発された言葉は、たとえ四頭仕立ての馬車で追いかけても元に戻すことはできない―以前言葉の魔剣について書きましたが、言葉に対する強烈な戒めのことわざです。一般人であれば叱られて終わることもありましょうが、今回のように、社会的な地位が高い者はそうもいきません。そんな人ほど身を修め、言動には常に慎重にならねばなりません。
高きに登るほど、下から見ている人は増えていく
出世すればするほど敵も増えていくのと同じ話で、言動を見る人の数は、地位の高さに比例します。リーダーほど帝王学が求められる理由の1つはこれです。有権者の代表たる議員ほど、人格の陶冶は必要なことになります。
帝王学の教科書『貞観政要』に曰く、
一事を行へば、則ち天下の觀る所と爲り、一言を出せば、則ち天下の聽く所と爲る。(原田種成・著『貞観政要』204頁)
これは『貞観政要』論澤官篇の言葉で、太宗・李世民の心掛けです。何か1つの事をすれば天下の人に見られているし、何か1言発すれば、天下の人に聞かれている―上に立つ者ほど、須らく服膺すべき金言でありましょう。常に見られ、聞かれている。されば、日々の言動にはより一層慎重を期し、言いがかりに対しては毅然と対応する。これが自然とできるようになるまで、身を修めることに力を注ぎたいところです。
人生に役に立つ、中国古典の叡知
常に知を磨き徳を修め、日常の事を学問と心得る。鈴木貫太郎の奉公十則にあるとおりです。中国古典に説かれる東洋の叡知は、性別や年齢を問わず役に立つ、宝庫のようなもの。身につけた時の利は、計り知れないものがあります。もっと興味をもって、中国古典に触れてみませんか?



