「帝王学」ってどんなこと?
組織が一体となる・ならないでこんなに違う
リーダーシップを高めたリーダーが率いることで君臣一体となり、組織の力を120%引き出す…ビジネスにおいて、誰もが望む状態ではないでしょうか。これを可能にするのが、帝王学です。
今回は下の参考文献・『妻も敵なり』の一節をとおして、
- 個々の能力は高いが、組織としてまとまりがない烏合の衆
- 個々の能力は凡庸だが、組織として一体となっている
帝王学の観点では、成果を出すことができるのは後者の組織です。競って勝利することができるのもまた、同じく後者です。それは何故でしょうか。
個々の能力は高いが、まとまりがない烏合の衆の場合
個々の能力がどんなに高くても、チーム・組織として連携・統制が取れないのでは、その力を引き出すことができません。各々がバラバラに動くのでは、物事が重複する事態も発生しやすくなり、報告や連絡、相談などもうまくできず、組織としてはむしろ低下してしまいます。
『妻も敵なり』の次の部分を見てみましょう。
中国人は、一人ずつ見ると、一匹の竜のようだ。中国人は一人なら、その場所が、研究室にしろ、試験場にしろ、とにかく人間関係を必要としない状況ならば、ひじょうにすばらしい仕事をすることができる。しかし、三人の中国人が一緒になると、つまり三匹の竜が一緒になると、たちまち一匹の豚、いや一匹の虫、いや一匹の虫にさえも及ばなくなる。なぜなら中国人のもっとも得意なのは、派閥争いと内ゲバだから……(岡田英弘・著『妻も敵なり』86頁)
事例の中国人に関しては民族性ではありますが、「共通の利害」で結ばれている組織には、「内部のさらに内部の利害」を巡る「派閥争い」や「内ゲバ」が大体セットになっています。お互いに足を引っ張り合う組織ほど、醜くみっともないものはありません。まとまりがない烏合の衆が如何に脆いものか、よくお分かりになるかと思います。
個々の能力は凡庸だが、組織として一体となっている場合
一方で、日本人の場合はどうでしょう。
『醜い中国人』を書いた柏楊は、日本人と中国人を比較して、次のように書いている。
「日本人は、一人ずつ見ると、まるで一匹の豚のようだ。しかし、三人の日本人が一緒になると、まさに一匹の竜になる。日本人の団結精神が、日本を向かうところ敵なしにした。戦争をしたら、中国人は日本人に勝てない。商売をしても、日本人には勝てない。」(前掲『妻も敵なり』86頁)
これを書いた柏楊(ポー・ヤン)は、『孫子の兵法』に言うところの「彼(日本人)を知り、己(中国人)を知っている」と言えます(柏楊は台湾人)。日本型の組織は強い、と常々述べているのは、小生に限りません。帝王学を体得し、身を修めリーダーシップを高めた指導者を戴く組織が如何に強力なものになるのか。日本型の組織とは、まさしく「一匹の竜」なのです。
ビジネスや人生に、「帝王学」という新たな視点を
この学問は、外に向いている視点を内に向けてくれます。自分が変われば周囲も変わる。もっと肩の力を抜いて、帝王学に触れてみませんか?




