帝王学が教える、リーダーの智愚を分ける要素
組織を建て直す際に大事な、リーダーの姿勢
組織が倒れそうになった時、踏ん張りが利いて持ち直せるところと、利かずにそのまま倒れるところ…この二者は何が分けるのでしょうか。ズバリ、君臣一体となっているか否かで分かれます。
君臣一体ってどんなこと?
「君」はリーダー・上の者を言います。「臣」は部下・下の者を言います。つまり、「君臣一体」とは上下が一体となっている状態のことです。ここで、「合体」とは違うんですか?という声が聞こえてきそうですね。結論から言いますと、異なります。
「君臣合体」とは、「共通の利害」によって結ばれている関係を指します。一見すると、平時においては特に問題ありません。しかし、このような組織は危急存亡の秋に脆く、あっけなく瓦解します。理由は単純で、世に言うところの「金の切れ目が縁の切れ目」。真っ先に人を解雇して乗り切ろうにも、優秀な者ほど見切りをつけて去ってしまうため、そうは問屋が卸しません。背水の陣ということわざがありますが、己の退路だけ確保して、人の退路を絶つようなことをすれば、士気を上げるどころか「背後から弾が飛んでくる」という状態になりかねないわけです。背水の陣は基本的に自分に対して敷くもので、人に対して敷くものではないことを理解すべきでしょう。
退路が油断を招いた、斉将・田単
以前にも取り上げました、古代中国の斉将・田単。彼は当初こそ「勝たねば後がない」という追い詰められた状態でしたので、部下と力と心を合わせ、勝利することができました。しかし領地を得て、財産を築いた後に再び斉の領土奪還を試みましたが、うまくいきません。「負けても悠々自適の暮らしがある」という退路が、無意識に油断を招いていたのです。それを魯仲連という遊説家に指摘され、当初の状態や志を思い起こし、再び君臣一体となった田単は、ついに目的を果たすことができたのです。背水の陣は、基本的に己に敷くもの―その事例として、見て頂きたく存じます。
日本型リーダーを頂点とする、君臣一体の組織
さて、君臣合体についてお話したところで、君臣一体に話を戻しましょう。中国古典に基づく帝王学を学び、一定の水準以上に人格を陶冶したリーダー…小生は「日本型リーダー」と呼んでいますが、そんなリーダーを戴くのが、「君臣一体」の組織です。昭和年間に、その典型的な事例を多く見ることができます。どんな困難であっても物ともせず、突破を可能とするものです。
リーダーの慕われ具合は、部下の覚悟の度合いとなって表れます。かつて徳川家康が豊臣秀吉に対し、「金銀財宝の類は持っていないが、自分のために命を捨ててくれるような部下がいる。彼らこそ宝である」と述べたとおりです。中国古典を学び、身を修めることが、そのままリーダーシップを高めることにつながります。
損はない学び
ビジネスにおいても人生においても、中国古典に教えられる知恵に、無駄はありません。必要となるものばかりです。学んだ分だけ人生は変わる。そんな学びを、共に講究していきましょう。今回はここまでといたします。



