帝王学を、鈴木貫太郎の奉公十則をとおして学ぼう 6
今回は、鈴木貫太郎の奉公十則の9番目、「易き事は人に譲り難き事は自らこれに當るべし」をみていきましょう。
リーダー足る者の心得
簡単なことは引き受け、困難なことは人に押し付ける―これは偽らざる人間の姿でありましょう。誰しも楽がしたいもの。結果として苦労することがあっても、好き好んで苦労したいという人は例外と言って差し支えないかと思います。普通の人であれば、それでも大きな問題にはなりませんが、これがリーダーになると話が違ってきます。
上に立つ者ほど、鈴木貫太郎のこの教えは備えるべき要素となってきます。その故は単純で、信頼に直結するからです。これは心理的にもかなったものであります。
難事は尽く、責任と共に部下に押し付け、自分は簡単なことばかり配分する。そんなリーダーについていこうと思う人は余程特殊であり、通常は思いません。勢いや力がない組織は、往往にしてこのような者が上にいます。組織の力を引き出すには、鈴木貫太郎が説くような姿勢をもたねばなりません。逆を言いますと、これが出来ているならば、一枚岩の突破力は常に出すことができる組織になっています。
難き事に自ら当たった井上成美
帝国海軍が大きく転換することになった出来事が、「海軍軍令部条例」および「省部事務互渉規定」の改定です。詳細に触れると大きく脱線しますので、ごく簡単に説明しておきます。
これらの改定は、海軍の軍令部を、陸軍の参謀本部と同格の機関にすることを狙いとして、伏見宮博恭軍令部長の元、高橋三吉軍令部次長によって進められたものです。その実、これは海軍大臣の大部分の権限を、軍令部に移すというとんでもないもので、この時、井上成美は軍務局第一課長でした。制度や規則に関する事項は、通常局員の主務として行われるものでしたが、井上は事の重大性を認識し、自らこの難事に当たることにしたのです。
交渉相手の南雲忠一に脅迫されたり、上司の寺島軍務局長から「自分を枉げて通す」ように説得されたりしましたが、井上はすべて突っぱねとおしました。この一件で井上は海軍省を去ることになりましたが、横須賀鎮守府へ異動の後、「比叡」の艦長へ転任することになります。鈴木貫太郎の教え子の1人というだけのことはあって、良き薫陶を受けていたことが窺えます。
帝国海軍の歴史的流れについて
今回は奉公十則に焦点を当てたものであるため、帝国海軍の歴史に関わる部分は簡単な説明になっています。詳細については、建軍の当初から流れを見る必要があり、また旧帝国憲法に規定されている「統制大権」や「編成大権」なども理解しないと分かりにくいですので、興味がある場合は種々の文献から学ぶことをお勧めします。念のため、2冊挙げておきます。
- 井上成美伝記刊行会・編『井上成美』
- 小堀桂一郎・著『鈴木貫太郎』




