帝王学を、鈴木貫太郎の奉公十則をとおして学ぼう 8-2
自己の職分は嚴にこれを守り他人の職分はこれを尊重すべし
今回は前回の続き、鈴木貫太郎の奉公十則の7番目の後半「自己の職分は嚴にこれを守り他人の職分はこれを尊重すべし」をみていきましょう。
職責は果たすべし
人が集まる組織において、役割はそれぞれ異なります。与えられた職分を守り、手を抜くことなく取り組むことは、和する行動であるに留まらず、信用にもつながります。
かつて豊臣秀吉が過去を振り返って語った時のこと。周囲には与えられた職分に不満を鳴らし、手を抜く者が多かった中、秀吉は任務に対して忠実に取り組んだことが評価されたと述べています。単に「自己の職分は嚴にこれを守る」だけでなく、誠実に取り組むことの重要性を教えてくれる逸話です。
出しゃばることなかれ
協調することは必要であり、和することにもつながるわけですが、勝手に他の職責や権限に踏み込むのは適切ではありません。「越俎代庖(えっそだいほう)」という四字熟語がありますが、これは出過ぎた真似をして、他の権限を侵すことを意味するものです。「越権行為」が平易かつ一般的な表現になるかと思います。
「他人の職分はこれを尊重すべし」を自ら実行していた鈴木貫太郎ではありましたが、時として人の目に「冷血漢」と映ってしまい、反感や恨みをかってしまうこともあるのが難しいところです。鈴木貫太郎自身、期せずしてそのようになってしまったことがありました。
張作霖爆殺事件
関東軍が仕掛けた爆弾により、軍閥の張作霖が暗殺された事件。時の内閣総理大臣・田中義一は、軍法会議を開催のうえ首謀者を厳罰に処す旨を昭和天皇に報告していました。ところが―いざ蓋を開けてみると、軍法会議は開催しないうえに、現場の責任者の処分のみという当初の上奏とまったく異なっていたため、昭和天皇を怒らせてしまいます。この時、侍従長だった鈴木貫太郎に出来ることはなかったのですが、「侍従長」という職分を知らぬ関係者から反感をかってしまうことになったのです。総理大臣と天皇との間に立ってものを言うことができるのは、内大臣か元老のみ―禁中のことともなれば、より一層対処が困難なものになります。「原則」として、「奉公十則」のこの教えは理解したうえで、時と場合に応じて動くのが良いでしょう。
今回はここまでといたします。
難易度が高めであるが、是非読んでもらいたい1冊。



