帝王学を、鈴木貫太郎の奉公十則をとおして学ぼう 7
言行一致を旨とし議論より實践を先とすべし
今回は前回の続き、鈴木貫太郎の「奉公十則」の5番目、「言行一致を旨とし議論より實践を先とすべし」の後半部分をみていきましょう。
紙陣を離れよ
兵証書に、「紙陣を離れよ」という教えがあります。兵書や経書といった典籍に教えられる知識は必要であり、また大いに役立つものではありますが、あくまでもそれは原理原則です。これを踏まえておかないと応用は利きませんし、マニュアル的な運用をしようものなら必ず失敗します。実践よりも議論に重きを置き、知識のマニュアル的運用を行った結果、取り返しのつかない事態を招いた事例があります。
長平の戦い~紙陣を離れなかった愚将の末路
キングダムにもしっかり描かれている、秦と趙との間で行われた長平の戦い。趙には馬服君・趙奢(ちょうしゃ)という名将がいましたが、その息子・趙括(ちょうかつ)は、父親とは比ぶべくもない無能でした。兵法に関する知識は父を凌ぎ、議論しても言い負かすほどでしたが、趙奢は評価しません。戦争を軽く見ており、知識はあっても実際の運用ができる練度ではないことが、分かっていたからです。それは、重臣・藺相如も同じでした。その趙括を評した言葉・「琴柱に膠して瑟を鼓す」は、今日、「杓子定規で融通が利かないこと」を意味することわざとなっています。読みは、「ことぢににかわしてしつをこす」です。
趙の惨敗~生き埋めにされた40万の趙兵
秦将・白起はその無能さを利用し、趙王に工作を仕掛け、総大将を趙括に交代させます。将兵を使い捨ての駒のように考え、原理原則を踏まえて運用する能力がなかった趙括に、名将・白起を相手にできるはずもなく、みっともない戦死を遂げます。降伏した趙兵40万は、生き埋めにされたと伝えられます。簡単ではありますが、これが長平の戦いの顛末です。
実践を旨とすべし
さて、知識だけ蓄えて知った分かったつもりになっているのを、「論語読みの論語知らず」というのは、何度か述べてきたとおりです。帝王学は、とかく学びと実践とが対になる学問教養。実践躬行してこそ始めて価値がある―これを忘れぬよう、日々励みたいものです。それを高橋是清が指摘していますので、それを紹介して今回はここまでといたします。
學問は古來幾多の先輩が啓發して集めたもので、唯學問を學修したと云ふのみでは、先輩が遺した図書にも及ばぬと云ふことになる。學問は之を使つてこそ、始めて、効用がある。(高橋是清・遺著『随想録』)137頁




