帝王学を、鈴木貫太郎の奉公十則をとおして学ぼう 6
言行一致を旨とし議論より實践を先とすべし
今回は「奉公十則」の折り返し、5つ目の「言行一致を旨とし議論より實践を先とすべし」をみていきましょう。
信用に直結する「言行一致」
言葉と行動とが不一致の人を、みなさんは信用するでしょうか。例えば次のような事例です。
- 時間を守るように人には言いながら、自分は守らない。
- 自分がされたくないことはするなと言いながら、自分はしている。
- 約束は守れと言いながら、自分は守らない。
ダブルスタンダードとも言われますね。このようなことをしていたのでは、孤立することは免れず、また困窮した時には誰も助けてくれません。なぜか?「信用がないから」ですね。
言葉と行動が常に一致する・させるよう心掛ければ、信頼されるのはぞんなに難しいことではありません。つまり、鈴木貫太郎が言うところの「言行一致を旨とし」とは、「信用されるよう努めなさいよ」ということに他なりません。これについて、『論語』の「公冶長篇」も併せてみておきましょう。
言行が乖離していた宰予(さいよ)
孔子の弟子に、宰予(さいよ)という人がいました。昼寝をしていたところを師である孔子に見つかった時に
朽木は彫る可からず。糞土の牆は杇る可からず。(吉田賢抗・著『論語』111頁)
朽ちた木は彫刻できないし、土が腐ったような塀は上塗りできない―と、昼寝だけでかけられる言葉としては、いささか度を越しているような言われ方をしています。推測の域を出ませんが、宰予は日頃から、寝る間も惜しんで努力している、というようなことを述べていたのでしょうか。
いずれにせよ、この一件から、孔子は「人の評判ではなく、実際に言動をみてその人を判断するようにした」と考え方を改めています。余程のことだったのでしょう。言行の一致が如何に大事なことか、よく分かる一節かと思います。
信用は、人生最良の無形財産―常にお話していることですが、言行一致はそれに直結します。念頭に置き、精進したいところです。
今回はここまでといたします。後半は、また次回以降に―
蔵書 ミネルヴァ書房から出ている、鈴木貫太郎の伝記
著者の小堀先生の流儀で、漢字は基本的に正字体で、文体は歴史的仮名遣いとなっている。
慣れていないと難しいかもしれない。



