帝王学を、鈴木貫太郎の奉公十則をとおして学ぼう
「奉公十則」3 公正無私を旨とし名利の心を脱却すべし
今回は鈴木貫太郎の「奉公十則」の3番目、「公正無私を旨とし名利の心を脱却すべし」をみていきましょう。
リーダーシップの1つ―中庸の徳
公正無私とは、いずれかに偏らないことを言います。『書経』に曰く「党なく偏なく、王道蕩蕩たり」と。特定の派閥や徒党を組むことなく、特定の主義主張に偏ることなく、王道は行われるのだ―という意味で、いずれにも偏ることがない「中庸」の徳を言ったものです。「公正」でないということは、特定の集団や人に偏っているということ。「無私」でないということは、何等かの主義主張に偏っているということ。
1つのことに突き抜けるというのも中々出来ないことではありますが、極端さは利点より欠点のほうが大きく、リーダーに適しているとは言えません。偏ることがない「中庸の徳」は、非常に重要視されている要素です。
元々『中庸』は四書五経の1つ、『礼記』の一節でありましたが、『大学』同様、後に独立したものとなりました。リーダーでなくとも、偏らないということは1つの生き方として、大切なものです。独立させた先人の達見は、見事なものでありましょう。
事例:加藤友三郎の場合
先日取り上げた加藤友三郎も、
- 強硬派のような軍縮反対論者
- 財政緊縮論者や穏健派のような軍縮賛成論者
このいずれにも偏っていなかったことが、『蒼茫の海』を通読すればよく分かります。国家の行く先を決めるような、重大な局面においても、この中庸というのは必須であるのです。
秦王・符堅と徐の偃王
『貞観政要』にも、秦王・符堅が極端な軍拡を実行。100万に迫る大軍団を起こし、謝玄率いる東晋に敗れて一気に亡んだという事例と、徐の偃王が極端な軍縮を実行。軍備を撤廃したところ攻められて一気に亡んだという、極端な歴史的な事例について言及されています。軍備1つとっても、中庸であることが国家の命運を左右し得る要素であるのです。
長くなりましたので、後半部分についてはまた後日取り上げたいと思います。鈴木貫太郎の「奉公十則」は、汲めども尽きぬ帝王学の教えが詰まっていることを感じていただければ幸いです。
「奉公十則」が訓示された時は、この巡洋艦・宗谷の艦長時代。



