帝王学を、鈴木貫太郎の奉公十則をとおして学ぼう 10
鈴木貫太郎略歴
「古典探究舎」と名乗っているから、古典しか扱っていない―そのようなことはございません。そういうわけで、今回は、鈴木貫太郎が「宗谷」の艦長時代に訓示した、「奉公十則」をとおして、大いに学んでいきましょう。
鈴木貫太郎は我が国の軍人・政治家。海軍兵学校14期卒業、最終階級は海軍大将。日清日露戦争では水雷屋として勇名をはせ、「鬼貫太郎」の異名をとりました。日本海海戦においては、
- 連合艦隊を津軽海峡へ北上させるか?
- 今しばらく現地で留まるべきか?
という命運を分ける決定の場において、情報分析からバルチック艦隊の到来にはなお時間を要するであろうと意見を述べ、その発見にも一役買いました。
連合艦隊司令長官や軍令部長といった要職を歴任、後に侍従長・枢密顧問官となり、昭和天皇の厚い御信任を得ます。昭和天皇たっての願いを受け、内閣総理大臣として、戦争終結という救国の大事業を完遂しました。
1,窮達を以て節を更ふべからず
十則のうち、まずは1つ目です。「窮達を以て節を更ふべからず」になります。これは「困窮しているからとて、節度を破るようなことをしてはならない」というものです。
疾風に勁草を知る
一般論でもありますが、追い詰められた時に本性は出ます。見出しの「疾風に勁草を知る」は、困難に直面して初めて、その人の真価が分かるという意味のことわざです。後漢書という典籍に載っているものになります。
節度を変えるなと言いましても、身を修めていなければ、普段は取り繕っている仮面が剝がれ、節度とは無縁の行動をとるようになりますが、皆さんも日常的に見聞きされていることでしょう。
- 遊ぶ金が欲しくて
- 金に困って
よく耳にするフレーズではないでしょうか。闇バイトなるものに手を出したり、盗みや強奪に走ったり―知育偏重の教育や学びでは、「身を修める」ことにはつながりません。人格の修養を先人たちが力説するのも、これがためになります。人の上に立つ者ほど、苦しい時に節度をかなぐり捨てるような行動は、厳に慎まねばなりません。そのためにも、自らの修養・鍛錬を心がけたいところです。
古代中国に見える、その源流
魏の宰相・李克が、宰相に登用するにふさわしい人物を鑑定する項目の1つに、「窮しては其の爲さざる所を視、貧しうしては其の取らざる所を視る。」とあります。これは「追い詰められた時に、してはならぬことをしていないかを調べ、困窮している時に不正な手段で金品を得ていないかを調べる」という意味で、まさしく今回取り上げた鈴木貫太郎の教えに合致するものです。上のリーダーになればなるほど、「身を修める」ことは必須の要件になることが、明らかでありましょう。
鈴木貫太郎の奉公十則にも、帝王学は詰まっています。少しずつ学んでいきましょう。今回はここまでといたします。
鈴木貫太郎写真



