矛盾する3つの作戦を採用して大戦果!?~楚の襄王
落ちぶれた国家を再び強国へ|齊の名君・威王
本日開催の中国古典に学ぶ会では、齊の威王にまつわるお話をしました。威王は先代の桓公の後を継いだ君主で、名君と呼んで差し支えない人物です。今回は、諸侯に侮られて、たびたび侵攻されるほどに落ちぶれてしまった齊の国を、ある策によって建て直したというお話になります。短いお話でありながら、例によってこれだけで2時間すべて使ってしまったため、簡単に述べたいと思います。
評判の悪かった知事を称賛!?
まず、即墨というところの知事を召喚します。威王の元へ入ってくる評判は悪いものばかりで、褒められる要素はないはずですが、なんと褒め称えたうえ、万戸の大都市へ転任させたのです。
評判の良かった知事を釜茹で!?
次に、阿というところの知事を召喚します。威王の元へ入ってくる評判は良いものばかりで、罰せられる要素はないはずですが、なんと叱責したうえ、褒め称えた者をまとめて釜茹でにしたのです。
百聞不如一見 実態の把握に努めよう
評判の良かった者を処刑し、悪かった者を称賛する―これだけ聞くと明らかに誤対応で、国が治まるはずがありません。しかし、この一件で一気に国政は改善します。
実態と評判が相反する状態だったのを、威王は予め人を派遣し、情報を得ていたのです。評判の悪かった即墨はよく治まっており、評判の良かった阿は人民が苦しんでいる―評判が逆になっていたのは、賄賂を贈っていたか否かが原因だったわけです。
ゴマカシや上辺を取り繕う手段が威王には通用しない―悪党は震えあがって真面目になるか引き下がり、即墨の知事のような人材はさらに躍進する。これで国が治まらないわけがありません。「人の評判に惑わされることなく、自身の目や耳で実態の把握に努める」こと。人材の登用や活用は、これ抜きにしては適切にはできません。駆け足ですが、前半はここまで。
帝王学の真髄―リーダーがまことに「お宝」とすべきもの
齊の威王と魏の恵王との間で交わされた、お宝問答。「宝玉」をお宝と自慢する恵王に対し、「人」こそかけがえのないお宝とする威王。リーダーは、必ずまず人を大事にしなければならない―齊が再建できたのは、当然と言えば当然だったのです。
これと質をまったく同じとするやり取りが、豊臣秀吉と徳川家康との間で交わされていたのをご存じでしょうか?その部分は参加者に撮影をお願いしています。この『貞観政要』に説かれる「君道」は、歴史や命運を分け得るほどのものであることをよく知っていただきたいと思います。今回はここまでといたします。次回は後日、ご案内いたします。
初めての撮影。リアルタイムでは問題なく聞こえていたはずだが、動画はイマイチ聞き取りにくい…改善に努めます。



