リーダーに求められる、重厚さとは 2
『論語』の有名な一節 3
今回は、前回に続きまして『論語』学而(がくじ)篇の教えをみていきたいと思います。
真の過ちとは
「過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ」―間違えてしまったならば、それを改めるのにモタモタしてはならない―『論語』の中でもよく耳にする部分かと思います。
この世に金甌無欠の人間は存在しません。生まれてこのかた過ちをしたことがない、という人間がいると聞いたことはないでしょう。歴史を振り返ってみても、如何なる著名人・偉人ですら、数々の過ちをしています。まして普通の人であれば、なおさらでありましょう。それでは、この「過ち」について、大事なことはと言いますと―「改むるに憚ること勿かれ」躊躇することなく改めること、これです。兎角人間は、『歎異抄』に教えられているとおり、「煩悩具足」のために、過ちを認めたくありません。損害が生じれば利益欲が損なわれ、また「褒められたい」名誉欲まで傷つきます。「言うは易く行うは難し」の典型で、なかなか行われ難いのが実情でしょう。
しかし、そこを耐え忍んで正直に認めて改めることで、信用につながります。内心は不満一杯で穏やかではなくとも、顔に出すことなくこれを努めること。大切な修養の1つで、これは他でもない、自身のためです。責任ある立場や役職にあるほど、肝要となる姿勢であることを念頭に置くべきものであります。
さて、短い一節でありますが、3回に分けてお話してきました。このあたりのお話で、「『論語』のような典籍が帝王学の範疇に入るのか?」という疑問は解決することかと思います。自身の修養の先にあるのが帝王学―常々述べているとおりです。このような形式で、シリーズとして『論語』は抄説していきたいと思います。今回はここまでといたします。
本日の原文(書き下し文)
子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。學べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ。(吉田賢抗・著『論語』)25頁




