帝王学に資する、晏子のエピソード④
古代中国における、名宰相の代表格―晏嬰
古代中国・春秋戦国時代。東の大国・齊(せい)の景公(けいこう)の時、晏嬰(あんえい)という宰相がいました。晏子とも呼ばれる人物です。お世辞にも、平凡とも言い難いほどの主君であった景公をよく補佐し、民を第一にした政治を行い、国を安定させた優れた宰相として知られています。本人の編纂ではないものの、その言動を記録したものに『晏子春秋』という典籍が伝わっています。ここでは帝王学に資する、晏子のいくつかのエピソードを紹介したいと思います。
7日間にわたって酒を飲み続けた景公
ある時、景公が酒を飲み続けること七日七晩に渡ったことがありました。アルコール中毒の様相を呈している景公に対し、臣下の弦章(げんしょう)が酒を止めるように諫めたが、それは「聞き入れなければ死を賜りたい」という激しいものでした。
この一件の後、晏子が朝廷に入ると、景公は弦章に諫められた一件を話して、
- 聞き入れると臣下の言いなりになってしまう。
- 聞き入れなければ死を与えねばならないが、それには惜しい人材である。
と悩んでいることを告げます。
広く意見を集約することと、人の言いなりになることとは全く異なる話ですが、景公にはそれが理解できなかったために起きた、誤った考えです。
彼を知ることで可能となる、相手にふさわしい諫言
これを聞いた晏子は、景公のような君主に会うことができた弦章は幸せ者であると褒め、もし桀紂のような暴君に会っていたら、弦章はもっと昔に死んでいた、と答えます。桀紂とは、夏の桀王と殷の紂王という君主のことで、古来「暴君の代名詞」として知られ、使われています。
このような言われ方をした景公は、勢い許さざるを得なくなり、弦章を罰することなく酒も止めたのです。
実態はどうであれ、景公は名君になることを願っているのをよく知っていたからこそ、晏子は
- 諫言を聞き入れることは言いなりになるということではない。
- 弦章を死なせたら、名君どころか暴君として名を残すことになる。
この二点を直接指摘することなく理解させたのでした。
今回のまとめ
晏子のような見事な諫めの言葉は、『孫子』の極致「彼を知る」ことがなければ困難です。景公が普段から願っていることや、素直に聞き入れる一面があることなどをよく理解していたからこそ、可能となった一件であることを知ってください。相手に合わせた指導・注意・諫言などは、まずは「相手を知る」ことからです。今回はここまで。
蔵書 新編漢文選 谷中信一・著『晏子春秋』上下巻



