知って損はない故事成語―糟糠の妻は堂より下さず
皆さんは、子孫に何を残したいでしょうか。土地・財産・会社・家業などなど―尽きることはない悩みかと思います。そういったものを残すことも結構なことですが、本当に子孫の為になることは何であるか。それを考える材料となる故事を、古典からみていきましょう。
財産を使い果たし、子孫へ残さなかった皇帝の守役
漢の宣帝の時。皇太子の守役を務めていた疏受(そじゅ)・疏広(そこう)は辞任を願い出て、認可されることになった。それまでの功績に報いるため、宣帝は黄金を下賜した。
黄金を換金し、すべて使ってしまった二人
二人は故郷に帰った後、黄金を金に換え、一族郎党や客人を招いて宴会を開き、なんとすべて使ってしまった。
賢にして財多ければ、則ち其の志を損し、愚にして財多ければ、則ち其の過を益す。且つ夫れ富は衆の怨なり。吾其の過を益し怨を生ずることを欲せず、と。(林秀一・著『十八史略』上巻)297頁
- 子孫が優れている→食うに困らぬ多額の財産は、志をダメにして没落を招く。
- 子孫が愚鈍である→欲を満たせる多額の財産は、一時の快楽を次々と求め、過失をさらに上積みさせる。
- 莫大な富→とかく人から恨み妬まれやすい。
我々は、子孫が没落したり、過ちを重ねたり、恨まれることを望まない―
理由をこのように語ったと伝えられる。
古典を教育へ―徳育こそ行うべきもの
地主も富豪も放蕩者の子孫のために没落し、往年の面影もない―そんな実態を見れば見るほど、疏受・疏広の言葉は名言と言えましょう。ここで間違えてはならないのは、「財産を残すことが悪」ではないということです。
子孫に十分な徳育を施すことで、財産の使い道を誤ることもなくなります。妬まれそねまれる実態は変わりませんが、落ちぶれる可能性も低くなり、長久に保つことにもつながっていくのです。
三流は財産を残し、二流は会社を残し、一流は人を残す―子孫に何を残すべきか、一助になれば幸いです。



