家族の思い出より重たい“所有権”という呪文

藤木賀子

藤木賀子



家族の思い出」は、もう“所有”できない



先日、「親の家じまい」というテーマでセミナーを開催しました。 申し込みは700名を超え、多くの方から「相続した家や土地をどうすればよいのか」「誰にも相談できず悩んでいた」という声をいただきました。 セミナー後、私自身もあらためて、“家”や“土地”をめぐる今の社会のあり方について深く考えさせられました。

年末の帰省、祖父母の笑い声、夏休みの虫取り、囲炉裏の煙——。 思い出として残る風景は、実物としての家屋や土地と直結しなくなっています。

空き家は老朽化し、地域によっては倒壊の危険性から行政代執行の対象にもなります。 草が伸び、イノシシやハクビシンが出没し、ご近所からの通報が入ることもあります。 誰もいないはずの古い家に灯りがついているという不気味な話が、町内放送で流れたこともあります。

それでも、毎年律儀に固定資産税の納税通知書だけは届きます。 中には、草刈り業者に年間数十万円を払い続けている人もいます。

総務省のデータによれば、全国の空き家数は約900万戸、住宅全体の13.6%。 中でも農村部や山間部は、「空き家率30%以上」という地域も珍しくありません。 さらに2040年には、日本の住宅の4軒に1軒が空き家になるという試算もあります。 これは“例外的な話”ではなく、“私たち全員の未来”かもしれません。

相続してしまえば、その瞬間から“あなたの責任”になります。
登記をしてもしなくても、所有者としての負担はどこまでもついてきます。

「思い出は心にある」と言いますが、 その“思い出の背景”がどんどん劣化していく姿を見るのは、なによりつらいことです。 瓦が落ち、扉が外れ、雨漏りが始まる。

そのたびに、「ああ、あのとき父と一緒に見た夕焼けはもうここにはないんだな」と、 胸の奥にある宝物のような記憶が、現実に汚されていくような感覚に陥ります。

「家を残したい」「でももう、守りきれない」。 そんな二律背反の中で、誰もが揺れています。


誰も悪くない。でも、現実の管理や維持が難しいのであれば、 私たちは“思い出”と“現実”の両方に向き合いながら、 「どうすれば次につなげられるのか」「どのように活かしていけるのか」を、 そろそろ考えるべき時期にきているのかもしれません。

所有権」という制度が、こんなにも不自由だなんて



セミナーで特に多かった質問が、「手放したいけれど、どうにもならない土地はどうしたらよいのか?」というものでした。
そこで浮かび上がってきたのが、“所有権”という制度の持つ不自由さです。

所有権とは、使う自由・貸す自由・売る自由・守る自由——。 そう、“自由の塊”であるはずでした。少なくとも教科書にはそう書いてありました。 登記簿の上では、所有権というのは尊き個人の権利であり、自由な財産権の象徴でした。

しかし、現実はそう甘くありません。 土地を「持ちたくない」と思っても、それを“手放す自由”は制度の中にほとんど用意されていません。

とくに山林や農地に関しては、放置することで下草の繁茂による火災リスク、獣害、土砂崩れ、隣地への被害など、周囲に大きな迷惑をかける可能性があります。 それでも「不要です」と言ってもすんなり受け取ってもらえるわけではありません。

たとえば令和5年に始まった「相続土地国庫帰属制度」。 この制度には、空き地を国に引き取ってもらえるという期待が集まりましたが、実際の利用件数はごくわずかです。

なぜかといえば、条件が非常に厳しいからです。

・境界が明確であること

・抵当権などの担保がついていないこと

・土壌汚染がないこと

・建物やごみがないこと

・通路など第三者の権利が設定されていないこと ……など10項目近くあり、これをすべて満たさなければなりません。 さらに、審査料は14,000円。引取料は土地の種類・面積によって数万円から数十万円、申請代行費用も含めるとかなりの負担に。

つまり、「いらないから手放したい」と願っても、「まずすべて整えて、お金を払ってからどうぞ」と言われるのです。 しかもそれでも審査に通らない可能性があります。

この制度も、「制度を整えてくれた」ことには意味があります。 しかし、実際の運用となると、そのハードルの高さゆえに救われない人が多いのも現実です。

結果的に、「所有権」という言葉が表す本来の“自由”は、 いまや“義務”と“責任”の側面ばかりが目立つようになっています。

「どうしても守りたい土地なら、頑張って維持する」 「現実的に難しいなら、第三者にゆずる、共に使う方法を考える」


——その選択肢が公平に開かれている社会へと、少しずつ変えていく必要があります。

「持ってこそ一人前」だった時代の名残


このテーマについて考えていると、もうひとつ重要な背景が見えてきます。 それは、“持つこと=正義”というかつての価値観です。

昭和の頃、土地を持っているということは、“人間力の証”でした。 いや、もっと言えば、“信用そのもの”だったのです。

山を持つ、畑を持つ、別荘を持つ——。 それは“資産”というよりも、“地位”“威厳”“誇り”の象徴でした。

「山主さん」「地主さん」「大屋さん」。 こう呼ばれる人々は、地域の顔役として尊敬され、土地を持っているからこそ人が集い、相談され、地域をまとめる役割を自然に担っていました。

「土地を持つ者は、人を守る者」 そんな空気が、昭和という時代には確かにあったのです。

しかし、時代は変わりました。 バブルが崩壊し、都市化が進み、若い世代は地方を離れ、地価は下落。 もはや“土地を持っている”というだけでは、信用どころか「負担」にすらなっています。

土地を持つことが誇りだった時代に育った親世代と、 現実的な維持・管理の負担を知っている子世代の間に、無言のギャップが生まれます。

「持っていること=良いこと」 「手放すこと=逃げること」


——そんな固定観念を、一度立ち止まって見直してみる時期に来ているのかもしれません。

土地は、人間の尊厳や信頼とつながっていた時代があったからこそ、 いま手放そうとするときに、戸惑いや後ろめたさが生まれるのは当然です。

でもその想いを否定せずに受け止めながら、 「今の自分たちに合ったかたちで、土地とつながる方法」を模索してもよいのではないでしょうか。

誰も悪くない。親を責める必要も、自分を責める必要もありません。 ただ、時代が変わった。 それだけなのです。

親の不動産の問題は、将来の自分の問題です。まずは不動産の調査をして、現実の状況を知ることが大事です。

ご自分で不動産は調べることができます。実家の登記簿謄本を取得するのに、印鑑も個人情報も入りません。住所だけわかれば誰でも調べることができるのです。

実家の家じまいについて詳細に書いていますので、よろしければご参考に!

家じまい

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