風、声のデザインルーム 道具は体と息のみ
第4章
表現者として生きる
私にとって音楽とは
物心がつく以前から私身近には音楽がありました。なぜなら、その当時は今と違い、メディアを通じ常に
「クラシック音楽」が流れていて、それも偉大な方が多かったように感じます。
そのような時代だったからこそ、私の家族はクラシック音楽が好きになったのでしょう。
こんな環境で、私は無意識のうちに音楽に触れ、音楽と共感する生活を送っていました。
そして、当時の私の家には音楽プレーヤーこそなかたものの、父が教員で、私を学校へ連れて行っては
授業で使うレコードをよく聴かせくれていたのです。
その中でもはっきりと記憶にあるのが、イタリア歌劇団第2回日本公演のオペラ「カルメン」でした。
その中で歌われる「闘牛士の歌」の旋律をなぜか私は一度で覚えてしまったそうです。
その日から、私はそのメロディーを口ずさむようになったと、後年母からききました。
きょうだいと年が離れており、兄や姉が学校で教わった曲を家で聴くとすぐに覚えていたのだそうです。
音楽は家族によって与えられた、今の私を創る、最大の贈り物だと思います。
にちに家にプレーヤーがきっかけに、私の家でもたくさんのレコードを買い求めたようです。
その中には、なぜか交響曲{シンフォニー}がたくさんありました。
声楽の勉強をする際、私はいろいろな楽器をイメージし、曲と向かうようになり、音楽をただ漫然と
聴くのではなく、立体的に{どの楽器とどの楽器が、、、、、など}聴くようになりました。
土台はこの幼い頃に形作られたのだと思います。
しかし、今の時代は、
当時の私のおかれていた環境とは違い、「音楽を楽器からイメージして聴くことは
少なくなっている」と私は思います。
音楽をメロディーだけで聴くのか?
音楽を建築物のように、立体的に聴くのか?
音楽は聴き方次第で、その人自身をより豊かにすると私は思います。
だからこそ、音楽をどう聴くかが大切なのです。
では何が聴き方を変えるのでしょうか?
音楽を聴くときの、「呼吸」と「姿勢」に関係があると私は考えます。
私はこれが正しいかどうかを確かめるべく、演奏会で「姿勢」と「呼吸」を意識して聴くようになりました。
コンサートに行った時、椅子にもたれかかった体勢で気を抜いて聴くのではなく、
呼吸と姿勢を意識して、私自身が歌を歌うときと同じように聴いてみたのです。
そうするうちにその演奏家の「呼吸」がわかるようになったのです。
しかも、その演奏家の呼吸と私の呼吸がドッキングするようになったのです。
それは初めての感覚で、鳥肌が立ち、涙がでて、体が浮いた感覚になり、演奏家の素晴らし
さ、そして演奏の素晴らしさを感じ
「こういう人たちを芸術家というのだ」と思うようにもなりました。
「呼吸」と「姿勢」を意識して演奏を聴くようになると、演奏が終わった後の拍手の仕方にも
変化がありました。
ただ拍手するというわけではなく、拍手している感覚もないぐらい拍手している自分がそこにいました。
{今でもいい演奏を聴くとそうなります。}
今の時代の日本で音楽を聴く環境はしっかりと整っているだろうか?と考えさせられることも
しばしばあります。
音楽を聴く環境、、、、、、「呼吸」「姿勢」
それは前述したように、演奏家にとって重要なことであります。
{声楽家以外の演奏家にとっても重要なことでしょう}
つまり、演奏家と聴き手の関係こそが、「音楽」を豊にさせるのです。
私は、今日まで音楽のおかげで豊かになりました。
だからこそ、日本全体の音楽を豊かにするためのも、「呼吸」と「姿勢」について、日々皆さまに
お伝えしたく教室をオープンし、教室でのレッスンをこえてもっといろいろなかたに
これをお伝えしたくて本書を執筆しました。
音楽に対して、私は「感謝」以外何もありません。
An die Musik
風、声のデザインルーム