風、声のデザインルーム フレーズ感を大きく感じる歴史感に出会って
第4章
表現者として生きる
瞑想と出会い 瞑想で出会う
日々、違う自分と出会えるということ。
それは、新たに生まれてくる自分と対面しているということで、コミュニティーにたよることもなく
得られる「出会い」ともいえます。
瞑想は私にとって最も斬新なコミュニティーでもあるのです。
毎秒毎秒、情報が流動し続けるこの時代。
情報ばかりに気をとられ、自分自身を見失う非常に多いと感じます。
それは感じるだけではなく、事実です。
音楽は「表現」です。
「表現」は自分軸がなければ成立しないものです。
そして、「表現」は魂から湧き起こるものでなければなりません。
決して表面的なものではないのです。
声は体の深い部分を通って全ての骨に当たり、その中でも特に額{前頭葉の部分}の骨に当たらなければ
なりません。
そうすることにより、神に通じて、神が私達表現者を選ぶのです。
そのような人間以外には「芸術」は成しえないと感じます。
それができる肉体をもつために私達は努力しなければなりません。
それは決して「芸術」に興味あるか否かを問うものではありません。
その努力とは?音楽界でいうと楽譜の裏を読み、詩人と作曲家はどんな魂を持っているかを
さぐるということです。
孤独に自分を待てない人間は、「芸術」を待つことはできません。
いつも、求めるものは昨日より今日のほうが神に近づかなければならないということ。
その次の日も前日より、もっと神に近づかなければならないということ。
この繰り返しなのです。
そしてこれこそが「瞑想」であり、あらたな自分をキャッチできる{神にちかづく}のも
自分自身であるということなのです。
そのために、刻一刻と情報が流動している様を見続けるのはそんなに必要なことでしょうか?
自分自身を見つめる
新たな自分を発見する
神に近づく
瞑想での出会いに終わりはないのです。