廣瀬真プロのご紹介
納得のいくスーツに出会うことで、人生のステップアップを(2/3)
バイクで富士山を制覇した学生時代
佐伯を故郷とする廣瀬さん。祖父の代から商売に携わっており、鉄工所の工場にはじまり、戦後の不況で物品販売に方向転換するなど、時代に合わせてさまざまな商売に取り組んできました。廣瀬さん自身は3人の姉と妹をもつ5人兄弟の長男。小さい時は新聞チラシの裏に絵を描いたり、図鑑を見ながらイラストを描くなど、美術に興味のある子どもだったといいます。
サッカーや水泳、バスケットなどスポーツも幅広く取り組んでおり、中でも最も夢中になったのは、高校で出合ったラグビーでした。卒業後は昔から好きだった美術の勉強をするため、九州産業大学へ進学。情熱をもっていたラグビー部にも所属しましたが、ハード過ぎる練習が続き学業に専念できなかったことから退部し、学業にアルバイトにと大学生らしい生活を送りました。
ある時、廣瀬さんの人生観を変える大きな出来事がありました。「筑紫野にあった行きつけのバイク屋でオーナーさんと話していたら、『今から富士山に行ってみたら?』と言われて。『今度とかいつかと言っていたら行かないから、今すぐ行きなさい』と旅費の1万5千円を渡されたんです」。
考える間もなく事態は急展開。携帯電話は敢えてその場に置いて、カメラ1つと所持金の1万5千円、広島と静岡に住んでいた友達の電話番号を書いたメモだけをポケットに入れ、そのまま福岡を出発したのです。それからは、下道を走っては公園に野宿をしながら、食料はスーパーで購入したチョコレートのみ。不安や孤独が胸に広がる中、連絡をとった友達から激励の言葉と同時に食事をご馳走してもらったり、ホームレスから差し入れをもらったりと、人のありがたみをひしひしと感じたそう。目標であった富士山に辿り着いた達成感はもちろん、何より学んだのは、すぐに行動に移したことで見えた世界と、困った時や辛い時に手を差し伸べてくれる人の存在と温かさでした。
23歳の時、父の跡を継ぐため帰郷。当時、店では、国内メーカーのスーツを中心に販売していましたが、保険の営業も始めて、飛び込みで1日に何十件も回りました。32歳で店を継いだ廣瀬さんが心に抱いていたのは、スーツの売上をもっと伸ばせないかという思い。「量販店の高級スーツでもなく、スーツ専門店でもなく、うちだけの強みはないか。そう考えていた時、銀座山形屋と取引するようになり、オーダースーツの魅力を知り、本格的に力を入れ始めたのです」。
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